2/02/2012

人の評価を気にするべきか

こんばんは。ちょっと作業の息抜きに一文かいてみます。

前々から書きたいと思っていたトピック。「人の評価を気にするべきか」。
結論から言うと、した方がよいのはよい。というより、人の評価はコントロールするくらいの気構えが必要。(実際にはめんどくさくてあまりやってないんですが(笑))。


こういうことを書くと、「え、おまえまったく気にしていないじゃないか」ということを間違いなく言われそうなのですが、考えなければならないことは3つあります。それでは順番に。



1. 人の評価と、自分の価値にはまったくつながりがない
そもそも、「自分の価値」とは何かということをまず考えなければいけない。ここでは「自尊心」「自分の生き方」と言い切っていい。ん、わかりにくい?例をあげよう:


上司:君、仕事のできが悪いね。
あなた:え、そうですか?
上司:君、この仕事向いてないんじゃないの?
あなた:ええええ?!

さて、ここで問題です。あなたは実は同業他社への転職を考えていて、二月ほど前からこっそり面接を受けていました。昨日、今のポジションより良いオファーをある会社からもらいました。その会社で上司となるべき人とも非常に馬があいそうです。あなたは、どうするべきでしょう?

あなた「上司の言っていることをまじめに受け止め、この業界で働くことをやめて、(オファーをもらっているところではなく)まったく違う職種に転職します。」

こんなことを言うやつがいたら、「おいおいおい?!」と思うはずだ。でも、実際には、同じようなことで悩んでいるひとが星の数ほどいる。「上司にこういうことを言われた」「友達にこう言われている」などなど。


僕に言わせれば、「おまえそもそもどうしたいんだ」ということだ。人が100人いたら、100人違うことをいう。100人のばらばらな話をいちいち真に受けてどうするんだ?いや、もし仮に100人全員が「お前は生きている価値がない」といったら、あなたはそれを受け入れるのか?

僕は小さいころから何かをしようとするたびに、「それは無理だろう」「おまえにはそれができるとは思わない」といわれることがままあった。それがチャレンジングなものであればあるほど。でも、一度結果を出してしまうと、みな黙ってしまうか、みな手のひらを返す。他人の評価とは、そういうものだ。所詮他人事であり、自分のことと同じほどには真剣に考えていない。

前にも書いたように、僕は人の能力の差など、動物としてみればほとんど誤差のようなものだと思っている。その誤差で何かを決めるなんてばかげてる。大事なのは、自分がやりたいかどうか、それにつきる。自分の価値は、自分が選んだ生き方で決まる、つまり自分で決めるものだ。

で、割にそれがよく態度にでるので、僕は「人のいうことをまったく気にしない」とよく言われていた(笑)。でも、本当に人の評価はまったく気にしなくてよいのか?



2. 人は、あてにならない第三者の話で、あなたを判断する

さて、問題です。あなたは会社のマネージャで、部下をとらなければならない。
あなたはある人を面接し、その人のことが非常に気に入った。ほぼ採用を決めて、彼が今在籍している会社の人に、彼のうわさをきいた。

すると、その人がいうには「彼は裏表が激しく、気の合う人には非常にサポーティブだが、合わない相手とは対立することが多く、それが原因で会社をやめようとしている」。

あなたはどうするだろうか?


けっこう多くの人が、ためらうはずだ。少なくとももう何人かに裏をとろうとするだろう。僕でもそうする。
しかし、こういううわさは、状況次第で簡単に立つ。上記のケースで言えば、日本のようにチームの「和」を重視する会社だとすると、そこから出て行こうとする人に厳しい表現をするケースもありうる。人の評価は必ずしもあてにならないし、その評価によってまた別の人も影響を受けやすい。それが人間というものだ。

ここで言いたいのは、その、まったくあてにならない話があなたの人生に時として影響をあたえようとするという事実だ。上の例がまさしく、あなた自身の価値とはしばしば連動しない人の評価が、あなたの人生に影響を与えようとしている。では、どうすればいいのか?


3. 人の評価はコントロールできる
2のたとえ話で、あなたは採用される側の人間だったとしよう。そして、面接を受ける半年前にもどったとする。さて、どうするだろうか?


僕ならば、上司、そして同僚との関係をよりよくする。上の話は逆もしかりで、仮にあなたと上司や同僚の関係がよかったならば、実力以上にあなたの話が伝わることもありえる。実態と連動しない評価ならば、逆によりよいものに塗り替えることだってできるはずだ。


「いや、上司は非常に思い込みが激しく、どんなに仲良くしようと思っても仲良くできないのです」

これは、あなたが思っている以上に大きな問題だ。ここでは、打つ手は3つほどある。
a. 上司と理解しあおうと努力し続ける。
b. 上司以外、さらにいうならば会社以外の人との付き合いを増やし、違う評価の出所をもつ。
c.上司を代える(他の部署に移動する、もしくは転職する。)あなたが「こうあるべき」と思う評価をくれる場所で、全力を尽くす。


状況をみながら、これらを柔軟に選択することが重要だ。1でいったように、他人の評価とあなたの価値には関連がない。でも、その人の評価は場合によってあなたの人生に影響を与える。能動的にこれをコントロールすべきだし、実際にコントロールできる。

多くの人が、aにこだわる。でも、これはあくまで打ち手のひとつでしかない。場合によってはより効果的なものに代えるべきだ。
bはいついかなるときもできるもので、おすすめのものだ。「今田さん、その自信はどこからくるんですか?」ということを言われることが昔からよくある(笑)。こういうことをいう人はたいてい、その場で正しいとされる(根拠のない)場の価値観にあわせていて、それにあわせていない人間は立場が弱い、と思い込んでいることが多い。そういう人間に対抗する方法が、多くのコミュニティに自分の居場所をもつ、というものだ。習い事、NGO、さまざまな場所で違う自分をもつことで、伝えたい自分の姿を伝えてくれる評価を見つけることができる。(それがあなた自身の自信にもつながる。)
最後の選択肢も、常に頭のすみにおいておくべき。会社がそうであるように、上司も選ぶものだ。障害になりうると思ったときは躊躇せず場所を変え、よりほしい評価をくれる上司をみつけるべきだ。いつも言うが、地球上に50億人もの人がいるのだ。目の前のたった一人に縛られる必要なんてまったくない。


評価とはまったく当てにならないものだからこそコントロールしていくべきだし、よい評価をくれる環境を能動的に作りながら全力を出していくことで、実際にあなた自身もかわっていく。そこが、人生の面白いところだと思う。

1/06/2012

ビジネススクールに行くということ

昨日、会社をでようとしたときのこと。
HBSで同期だったBが、Facebookでひょこっとチャットしてきた。数日前にB-day messageを送ったことに対してのお礼だ。せっかくなので、僕が今年自分の方向性を大きく変えることにしたことを話す。「ほんとかよ。おまえほんとにあのTakaか?(笑)」といった、気の置けない突っ込みが入る。


b-schoolを出てもうすぐ3年、未だにいろいろ悩む。b-schoolを出たことで、僕の人生、というより僕自身が完全に変わってしまった。世界の見え方が大きく変わり、自分がやりたいこと、自分の人生に求めることが完全に変質してしまった。自分にしかできないことは何かを考えつづけるようになった。


b-schoolを出ることで、キャリアにプラスになるかどうかと日本人に聞かれると、そのときの気分で二通りの答え方をする。まじめに答えるときの答えは「どうでしょう。僕はキャリアどうこうではなく、b-schoolに行きたい、アメリカで学びたいから行ったので。キャリアだけを考えたら、もっといい方法があるかもしれないです。」軽く答えるときの答えは「ディズニーランドに行くようなものです。行きたいなら行った方がいいです。興味がないなら行かなくていいと思います。」


僕にとっては、b-schoolに行くこと自体に大きな意味があった。日本では決して会えない数々のユニークでとびきり優秀なやつらと友達になり、b-schoolに行く前は考えもしなかった人生の大きな可能性を、実際に人生(そして世界)を変えた人たち(ケースの主人公)が授業にやってきて見せてくれ、アメリカで学び働くことでまったく違うカルチャーの中で自分が何をしたいのか、じっくり考える機会を得た。あくまで僕のケースだが、モノクロの世界がカラーに変わったくらい、大きな変化だった。

そもそも、自分が生きてる中で、キャリアはあくまで自分がやりたいことをするための「手段」だ。「手段」のブラッシュアップ程度のことならばb-schoolに入学できる人ならば、他にも多くの方法がある。

人生が二度あるとして、同じチャンスが与えられるなら間違いなくもう一度b-schoolに行く。でもきわめて個人的なものだ。「今の人生で満足している。わざわざb-schoolに行く必要があるのか」と考えているならば行く必要はないだろう。

12/21/2011

忘年会のひとこま

昨日の飲み会で、「ゲイの友達がいる」という話をちょっとした。別にそれ自体は特別なことじゃないと思うよ、という話。以下に書いたように、僕はアメリカにいたころ、ゲイの友達と知り合い、自分の考え方がいかに閉ざされてたかを知った。
http://takaimada.blogspot.com/2010/08/blog-post_08.html


飲み会の席だったからか、僕の説明がへたくそだったからか、僕が伝えたかったことはいつものように、ちゃんと伝わらなかった。(ワハハ、いまだくんて変わってるよねー。q.e.d. )
そもそも、飲みの話。「で、何がおもしろかった?」 うーん、特別おもしろくはないです。


そうだよなー、これが日本だよなー、と、自分がさびしいことに気づく。説明することをあきらめることが、日本に帰ってきて増えたように思う。

12/04/2011

無事是名馬

前の会社でバイトの方に仕事をお願いしていたときのこと。

「いまださん、これちょっと終わりそうにないので、残ってやります。」
「それって契約違反だよ。そんなことはお願いしていないよ。」
「?」
「僕は君の今日5時間をxxで買っている。君にお願いしたのは、その5時間で、△△な仕事をやってもらうことだよ。5時間以上かけることは、契約違反だよ。5時間でできないと思ったら、お願いしたその場で、そうでなければわかった時点ですぐに相談してくれないと。」
「。。。」


僕が新卒でMSに入社したときに、最初に先輩に言われたのが、以下の言葉。
「君はいること自体がコストだよ。場所代、光熱費、等々。君に払っている給料なんてごくごく一部。全部ひっくるめて、いくらかかっているか、わかる?そして、いつ、きみはそのコスト以上の仕事をできるようになると思う?」
「。。。」


日本に帰ってきて思ったのは、「時間をかけてがんばる」ことをよしとする人が、未だに数多くいるということ。でも、仕事においてまず大事なのは、コストがどこに発生しているかを把握すること。時間もコストであり、「何時間かけてどれだけのことができるか」を正確に見積もれないと、バイトの方はよくても、そのバイトを使う経営者はかかるお金の見積もりができない。


同じような問題は、ほかでもいくつも散見される。「風邪を押して会社にきている」「寝ないでxxに対応した」等々。でも、本当に大事なことは、「風邪にならないように厳しく健康管理をしている」「業務のスケジュールをきっちり組んで、無駄な仕事はしない、プライオリティの高い仕事から早めにとりかかる」といったことのはず。プロセスでの失敗が、なぜか美談になることを許す甘さが、まだまだ多くの組織に見受けられるように思う。


本当の成功とは、目立たない。でも風邪も引かず、9時5時で仕事をしっかり仕上げて(余分な光熱費も使わず(笑))さっさと帰る人こそが、モデルケースなのだ。

よく、「経営者目線でものを考えよう」と言う。経営者目線の一歩は、「風邪を押して/残業して仕事する」甘えを捨てることだと思う。すなわち、目立たない、でも無駄のない仕事をできるようになることだと、最近よく思う。



B-Schoolに行くまでにやっておくべき4つのこと

皆様、ご無沙汰してます。4月に転職してからどたばたが続き、やっとこのブログにアクセスする時間ができました。文章を書くということは、僕にとっては人生のページが進むことと同じ。もっといろいろ書かなければ。。

今日は、1月からヨーロッパの一年生MBAに留学する、以前私が在籍していたNGOの後輩とランチしてきました。(Aさん、ありがとう。僕にとっても非常にいい刺激になりました。)そこで話したアドバイスを簡単に共有しておきます。

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1. 宿題はきっちり終わらせておく
http://takaimada.blogspot.com/2010_03_01_archive.html
にも書いたのですが、MBAの宿題は非常に重要。特にFinanceとAccountingに関しては宿題をやっておかないと、下手をすると最初の学期は最後までキャッチアップできない危険性がある。逆に宿題を十二分に理解しておけば、最初の学期からAを取ることも狙える。

2. 就職活動をスタートする
ビジネススクールにいる時間は非常に短い。特に多くのヨーロッパ系は一年だけしかなく、本当に就職活動に充てられる時間は、実は半年くらいしかなかったりする。勉強もだが、就職活動の方も非常に大切。

もちろん、卒業後にやりたいことは人様々だろうが、以下は僕同様、卒業後すぐは海外で働くことを予定している人向け。

あなたが大手外資系出身なら、先輩・同僚で今から入学する学校のOB・OGが現地にいるはず。彼らに今からアポをとって、渡航後にすぐ会うこと。

会って何をするのか?(最初は学校生活へのアドバイス等を伺いながら折を見て)現地でインターン・パートタイムで仕事ができないかをそれとなく聞く。もちろん、今の仕事が卒業後もやりたい仕事ではないかもしれない。しかし、現在の仕事をヨーロッパ・アメリカでやり続けるオプションは、もてるならば絶対に持っていたほうがいい。(あなたは、その仕事が好きだから今まで続けてきたはずだ。)とれるオプションから確保した上で、次の一手を考えるべし。いったん現地で就職してしまえば、そこからの転職の道も開けてくる。留学生が就職する上でハードルになるのが、自分の価値をverifyする機会が圧倒的に少ないということだ。(たとえば「私は日本のxx銀行、○○商社で働いてきました」と言ったところで、アメリカ人やヨーロッパ人には伝わらないことは多い。)これに対するカウンターが在学しながらのインターンシップ。インターン・パートタイムであれば雇いやすく、お互いにリスクも少ない。早い段階でこういった機会をもつこと。

その人たちに会う上で、英語のレジュメもちゃんと持っていくこと。MBAにアプライする段階で英文レジュメは用意しているはずだが、多くの場合、そのレジュメはまだまだ完成度が低い。実際にレジュメを日々アップデートしている(そして多くのレジュメに目を通している)アメリカ人、ヨーロッパMBAにレジュメをチェックしていただき、ブラッシュアップしていく。英文レジュメは非常に重要で、多くの日本人のレジュメは完成度が低く、面接にすら呼ばれないケースが散見される。


3. Facebook, LinkedInアカウントをセットアップする
MBAの学生は、基本的にFacebookでコミュニケーションをとり、LinkedInで就職活動をする。これを読んでいる多くの人はすでに両方をもっていると思うが、これらをセットアップし、中身を就職活動を意識したものにすること。LinkedInについては、まずは英文レジュメの内容を引き写すのでよい。

こういうことを書くと、「全部自分のプライバシーを公開して、大丈夫ですか?」などとたまに聞かれることがある。あなたが、有名芸能人であれば気にしたほうがいいと思う。でも、多くの場合、あなたのプロファイル情報の問題は、それが人の目にふれることではなく、ほとんど興味をひかないことにあると思う。

Facebookについては、知り合った友達は片っ端から追加していくとよい。LinkedInについては、知り合った人を追加するだけではなく、就職活動上会いたい人を探し、コンタクトするためにも活用するべき。(場合によっては有料機能も利用。)


4. 教授とのコンタクトを深める
これは、留学したあとになるかもしれないが、教授とのコンタクトは極力持ったほうがよい。(僕は仲のよい教授とは、一月に一回くらいは会うようにしていた。)B-Schoolの教授は、多くの面白い企業とネットワークをもっていて、共同研究をしている。早い段階で彼らにコンタクトをして、「自分は将来~をしたい」と自分のキャリアプランを伝え、アドバイスを定期的にもらうこと。教授によっては、彼らがネットワークをもっている企業のコンサルティングプロジェクトにあなたを入れてくれたりする。また、教授の深いアドバイスは、卒業した後も大切。僕も卒業後も、何人かの教授に、節目節目でアドバイスを伺っている。B-schoolに行くというのは、「人生の師」と会う機会でもある。


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その人と最後にあったのは、僕がボストンにいるときで、実に4年ぶりの再会でした。「今田さん、まるくなった感じがします」といわれました。

一方で、彼女の話を聞いていて、キャリア、というよりも、人生に対するパッションが、最近の自分は弱くなっていたのでは、と気持ちを新たにしました。

まだまだ丸くなるような歳ではまったくない。気持ちを入れなおして、前に進まなければ。

5/08/2011

母への返信

今日、母からメールがきていた。母の日のプレゼントに対する礼状で、加えて僕の近況(転職)に関する簡単な励ましの言葉があった。それに対する返信。




「よろこんでくれてなによりです。
ま、人生なるようになるでしょう。最近そこそこ人生を楽しめている自分がいます。
これからの10年、また僕は大きく変わると感じてます。大事なことは小さな変化を絶えず自分と周囲に毎日起こすことにあると思います。明日も、小さな一歩を踏み込むつもりです。

とりいそぎ。
隆秀」


4月に働く場所を変えたのだが、また新しいチャレンジに自分がアクティベイトされているのがわかる。常に新しいことに取り組むことが自分の可能性を引き出してくれる。
と、いうことで(書きたいことはいろいろあるのだが)明日にそなえて今日はこのへんで。

2/19/2011

「正しき酔っ払い」のあり方

前々から思っていることに、「プライドと酒は似ている」というのがある。質の悪いプライドに酔う者は醜いが、人からみて「かっこいい」と思わせるプライドというものも存在する。


僕は、安いプライドにこだわる人間が苦手だ。たとえば狭い社内であったり、狭い日本人コミュニティの中で自分の立ち居地を気にするような人間。はっきりいって、たかだか数十人、数百人、(いや数千万人程度も含めて)の中で、となりのたいして自分とかわらぬ凡庸な人間と優劣を競うことにどれだけの意味があるのかと思うことは、日本にいると特に多い。(日本人にとって海外にでることの意味のひとつは、海外の本当に優秀な人たちと出会い、日本がいかに狭いか、いかに凡庸な集団の中でさして意味のない優劣を気にしてきたかを痛感することだと思う。)そういう人間をみかけたときに思いだすのは、安いアルコールで酔いつぶれ、まわりにからむ酔っ払いの姿だ。


だが、それ以上に苦手なのが、「謙虚」であることを自分にも周囲にも強いるような人々だ。成功した人をねたみ、「あの人は傲慢だ」といううわさが周囲に流布するのも、日本ではみられる風景だ。そういう状況にたまたま足を踏み入れ、「おまえもそう思うだろう」とぬかるみにひきこまれるたびに、胃に重いものがたまったような気持ちになる。プライドを持ちたいのに、そうできないどろどろとした思いの粘性を感じたとき、いいようのないその重苦しい嫉妬にこちらも苦しくなる。


自分を含めて、大多数の人間は、プライドによりかかって生きている。かっこいいと思われたい、かしこいと思われたい、認めてもらいたい。プライドは酒と同じで、なくてもいいものだが、多くの人はそれを好み、ときとしてそれに頼るときがある。そして、プライド自体はけっして悪いものではない。本当に優れた結果を出している人は、その自信が他人をもひきつける。自分の生き方に誇りを持ち、全力で前に進む人の話は、聞いてるこちらにまで力を与えてくれる。HBSやシリコンバレーで出会った人々のプライドはかっこよく、僕を鼓舞するものがあった。良い酒は、人を集め、その場にいる人々に活力を与える。


中途半端に「謙虚」になって、気持ちの悪い思いをするくらいなら、自分だけでなく、周囲をも酔わせ、力を与えるようなプライドを持とう。「いい酒」を醸せる人間になりたいと、最近よく思う。