12/18/2010

Promote Yourself

昨日、西海岸でインターン先を探しているB-School一年目の人と話をした。できることを伝えつつ、気持ちを切らさないようにという話をした。


冬休みは、アメリカは基本的にみな仕事を休んで家族サービスをするので、Job Marketも一段落する。でも、できることはある。時間がある冬休みだからこそ、メールを出せば答えてくれる学校のOBはたくさんいる。また、もしすでに何人かの知り合いがいるなら、その人たちにクリスマスカードを出すべきだ。普段メールでのやりとりに疲れている僕らは、実際にカードをもらうと、ほっとする。実際のメールだからこそ、伝わるものもある。

また、今の状況でオファーがないからと言って、あきらめてはいけない。スタートアップの多くは、来年の夏休みのインターンのことなんて正直考えてられないところは多い。やっと3ヶ月手前くらいになって、「あ、インターンとってみようか」というところなんてざらにある。今の段階から軽くコンタクトしておいて、来年彼らが気持ちの上で余裕がきたときに、ぐっとくるアプローチをすれば、彼らの気持ちが変わることはざらにある。


その人と話をしていると、今の厳しいマーケット状況、そしてその人が抱えている不安と夢の入り混じった気持ちが伝わってくる。僕も同じ状況にかつていたから、よくわかる。


たいしたアドバイスができるわけでもないが、でも、伝えておきたい言葉がひとつある、と言って伝えたのが以下の言葉。


Promote Yourself.


これは以下の本にある言葉だ。
http://www.amazon.com/First-90-Days-Critical-Strategies/dp/1596590440/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1292735628&sr=1-1

この本は、MBAをはじめとする若手のManagement Career Ladderのものが、転職して最初の90日間で何をすべきかを書いたもの。Harvardをはじめ多くのMBA Candidateが読んでいる。この中で、最初にでてくるのがこの"Promote Yourself"だ。


実は、転職をしたときに、ハードルになるのは他人の自分に対する評価ではなく、自分の自分に対する評価だ。MBAを取得して、あなたにはマネージメントとしてやっていくだけの準備はできている。でも、あなた自身が、それを認め、自信をもってそれに見合う行動をしなければ、周囲が戸惑ってしまう。まずは、自分で自分を心理的にPromoteしなければならない。


振り返ってみると、特に日本人は若くして多くの人間の上に立って仕事をする機会も少なく、文化もないため、ついつい控えめになってしまう。でも、あなたは、MBAを取得し、日本のせまい企業文化の中ではなく、アメリカ、そしてグローバルなマーケットの中で若くしてマネジメントとして仕事をしていく道を選んだ。自信を周囲に示し、マネジメントとして人を率いるのはあなたの責務なのだ。


これは、職場に入ってからだけの話ではない。あなたはすでに、USのTop SchoolのMBA Candidateとして仕事を探している。Job Marketが冷えているかどうかに関わらず、いや冷えているからこそ、Managementの卵らしく、対等に自分の価値を相手に認めさせ、コミュニケーションしていくことが求められる。


他の日本人と話すと、場合によっては(根拠もなく)「この状況では無理だ」「この不況下で、そんな条件で交渉しているのか?!」といった反応が返ってきて、モチベーションが下がることもあると思う。でも、あなたは日本人として就職活動しているのではない、MBA Candidateとして就職活動しているのだ。数多くのアメリカ人、インターナショナルのアルムナイに会って、かれらがどうキャリアを作ったかを聞き、彼らのエナジーに触れてほしい。彼らの多くはあなたの価値を認め、あなたを励ましてくれるはずだ。かつて、彼らもおなじように彼らの先輩に励まされ、道を探してきたからだ。

どうか、自信をもって仕事を探してほしい。あなたにはそれに見合うだけの価値がある。そして、1年後、2年後に同じような後輩が君のもとにやってきたときに、同じように君の経験、そしてエナジーを分け与えてほしい。

12/17/2010

「休みの日は裏の砂場で絵を描いてます」

昨日の夜、友達と話をしていたときに出た会話。「休みの日に何してる?」と聞かれたときに、果たしてどう答えればいいのか?で盛り上がった。


彼女も僕も、答えに困る、というのがまず第一の感想だった。そもそも、この質問が出てくる状況としてよくあるケースが二通りあると思う。ひとつは、(多くの場合相手が異性で)興味があって聞くケース。もうひとつは、(日本人によくあるケースなのだが)人と同じことをしていることが正しいと考えるタイプの人間が質問者で、よくわからないタイプの人間はきっとつまらない休日を過ごしているに違いないと思い込んで聞きたがるケース。


最初のケースの場合、僕は「布団をほして、洗濯をして、夕方ビールを飲みに近くのバーに一人で行き、読み止しの本を読みつつボーっとする」と答えたところ、女からするとそいつはつまらん男だ、ということになった。じゃあいいアイデアがあるのかと聞いたら、そいつも何がいい答えかわからんということで、お互いとりあえずの宿題になった。だれか、異性に好感をもたれる休日の過ごし方を知っていらっしゃる方、ご連絡ください(笑)。


で、二つ目のケースの場合。これに対する僕の回答が「家の裏にある砂場に行って、ひざを抱えて絵を描いてます。」というもので、これは僕の性格をよく知っているその友達には爆笑された。今思うと大人げないのだが、僕は実際にこの回答を20代のころはよく使っていた。


その頃は、ご存知のように週末は勉強をしているか、趣味のフェンシングに通ったり、NGOで活動したりと、自分なりにかなり充実した毎日だった。だが、そのころはほとんどの人にはMBA受験のことを言っていなかったこともあり、多くの人には僕が普段何をしているかわからない、というより想像できないようだった。正直、僕からみてかなりつまらない(誰もができるような)休日を過ごしている人間に限って、からかい混じりに「お前休日になにしてるんだよ?」という質問をしてくるのだった。


最初のうちは「フェンシングに通っている」「NGOで~という活動をしている」という話をまじめにしていたが、決まって反応は期待したものと違ったのだろう、(=おそらく、「何もしていない」と言ってほしかったのだろう)、つまらなそうな無表情の反応をするものが多く、こちらも次第に面倒くさくなっていった。そこで、ふと思いつき、使うようになったのが「休みの日は裏の砂場で絵を描いてます」というもの。これを言うとちょっとは勘のいいやつは、こちらが「これがおまえの聞きたい答えだろう」と逆にからかっているのがわかり、嫌な顔をする(笑)。だが鈍いやつだと、「何を言ってるんだ」という反応に困った顔になる(笑)。どちらの反応をするのか、見るのが楽しく、ついつい20代の頃はよく使っていた。


休日の過ごし方にはその人の人生観がでるところがある。たとえば友達と車で無為に遊びまわるのも休日なら、がりがり勉強するのも休日。どちらがいいというものでもない。どちらをえらぶのも、そいつの自由。本人がやりたいことをするのが休日なのだ。そんな休日を人と比較しないor確認しないと落ち着かない時点でそいつは野暮なやつということだ。

アメリカから帰国してから、さすがに比較しずらくなったのか聞かれることは減ったが、聞かれたときは「いやぁ無趣味で」とおとなしい回答をしていた。が、自分らしく、今度聞かれたときは「砂場で絵を描いています」を久しぶりに使ってみようと思っている(笑)。

11/30/2010

僕らはもっと怒っていい

日本に帰ってきたときに驚いたのは、あれだけモバイルデバイスが好きといわれる日本人が、電車の中でKindleを出さないことだった。今ぱっと電車をみわたしても10人中4人が携帯を開き、3人がiPhoneをいじっているこの日本で、である。アメリカでは、今年に入って電子フォーマットの書籍の売上が紙媒体を抜いた。僕のアメリカ、ヨーロッパの友達はクリスマスプレゼントにKindleを買うといっているやつが結構いる。こんな世の中にあって、日本では、未だに日本語コンテンツをKindleでダウンロードできない。どの出版社もKindle用に本を売らないからだ。そりゃ、誰もKindle使わないよね、コンテンツがないとなれば。いくつかの出版社はかわりに独自フォーマットで電子書籍を試しにだしているらしい。

日本に帰って翌日に、Pocket Wifiを買いに行った。そこで、「skypeをよく使うので」とぽろっと店員に話をしたら、「あ、じゃあ選択肢は~と~しかないですね」という。え、なんで?聞いてみると、あらかじめ、いくつかの機種はPocket WifiをSkypeで使われないようにポートを閉じられているという。はぁ?

ものすごい頭にくるとともに、混乱させられた。そんなことが日本では許されるのか?ビジネススクールでよくあるケースに、恐竜化した大企業が、イノベーションの流れに乗れず、過去成功したプロダクトにしがみついて滅びていくというものがある。イノベーションが起こったとき、考えなければならないのは、「ユーザーにとって古いプロダクトと新しいプロダクト、どちらがよいか」だけだ。ユーザーにとって明らかにプラスになるイノベーションを取り込めない会社は、例外なく衰退する。まして、ユーザーのプラスになるプロダクトフィーチャーを制限するなんて、言語道断である。なんで、そんな企業のエゴが許されるんだ???

アメリカでは、App StoreでGoogle Voiceに関わるプロダクトが禁止されたときは、大ブーイングだった。企業が自分のエゴで人々の利便性を阻害することは、明らかに社会的な悪であるとみなす土壌がアメリカにはある。(そして、Appleはそれらの声に押されGoogle Voiceを先月受け入れた。)

翻って、日本に戻ると、まちがいなく大きなニーズがあるにも関わらず、企業のエゴで使えないプロダクト、サービスのなんと多いことか。Kindle向けに書籍を売らない、特定のPocket WifiでSkype通話はできない、「スマートフォン」と呼ばれているモバイルからSkypeを使って携帯電話に電話できない、etc, etc.. でも、だれも、そのことについて文句を言わない。

断言するが、上記であげたことは、どんなに閉ざされた国、日本であっても、いつかは開放される。便利なものを特定の企業の権益のために使えなくすることは、自由経済の世の中にあってはいつかは破綻をきたす。僕らは石器時代には戻れない。技術、サービスの向上は不可逆なのだ。

しかし、日本ではアメリカ人だったら怒り、すぐに是正される企業のあやまちが、是正されない。だれも声を上げない。ただ、恐竜の寿命を2年か3年延ばすために、人々はだまって恐竜のエゴを受けれ入れる。メディアも何も言わない。僕らはもっと怒っていい。

11/27/2010

「性格」なんてあるのか?

最近日本に帰ってきて気づいたのが、(最近会った)人はやたらと「性格」について話したがる。「~は社交的だ」「~は気難しい」「~は几帳面だ」等々。あと、僕が日本にいてよく言われるのが、「~な風にみえない」という話。(かつ、~の部分が、時と場所によって180度ひっくりかえることが多々ある。)


僕自身の見方、というよりも物事の捉え方を話すと、僕は元来、ヒトに変わらない性格なんて存在しないと思っている。そもそも性格とは何か。定義は様々だが、「自分の行動を長期にわたって規制するひとつのルール」とここではしておく。「社交的」「几帳面」「行動派」等々、いろいろな要素についてヒト(特に日本人)は話したがるが、多くは自分自身で(そして周囲から言われて)「自分は~な人間だ」と思い込んでつくっているルールにすぎない。心理学では、性格というのは非常に流動的で状況に依存することを示す実験結果がいくつもある(ミルグラム実験など)。このことは、あなた自身でも実験できる。「留学」といったものや「就職(職場を変える)」といったものもひとつの学習実験だ。その場にあわせて人は変わる・適応する。動物として当たり前の行動なのだ。


なので、自分自身について、僕は性格というものを極力限定しないようにしている。基本的には、ルールはふたつ。1) そのとき、その場で達成したい自分にとってのゴール設定を確認し、それを達成するための最適な行動をとる 2) 周囲の人間の嗜好を分析し、自分のゴールを達成する上で周囲の協力を得られるように最適なふるまいをする。


上記を行う上で常に気をつけているのは、前の行動に引きずられないことだ。動物は、一度やった行動で問題がなければ基本的には同じ行動をするようにできている。しかし、場所が変われば最適解も変わる。常に意識して、時、場所の変化とともに「自分の性格」を真っ白に戻して、その場で自分がとるべき行動のルールの設定を常に変えるように、意識している。(なので、違う場であった人間には「性格が違う」といわれることがままある。)


ところで、なぜヒトは性格について話したがるのか?これは多分に自己肯定の問題が絡んでくる。ヒトは常に自己肯定したいという要求に突き動かされて生きている。自己肯定の形は様々だが、「自分の行動のルールは誰よりも優れている」と認められたい、というのもひとつの自己肯定の形と思われる。これを確認するために、周囲のヒトと自分、相手の性格を話す、という行動が生まれるのではないか。


ちなみに、自己肯定の裏返しが、自分の存在が周囲に受け入れられないことへの不安と言える。アメリカにいたときには、友人とお互いの性格について話すことはほとんどなかった。お互いの行動ルールが違うのは当然で、人生の行動様式は個々がそれぞれでもっているものだという認識があったと思う。振り返って日本で感じるのは、社会からの同調圧力が強く、自分の存在に対する不安を多くの人間が抱えているのではないか、ということだ。まあ、あくまで僕が接している範囲の人間の話ではあるが。

11/12/2010

ご飯を一緒に食べるといい女かどうかわかる?

注1: 今回のポストは、多分に自分の首を絞めることになると思われるが、あえて書いちゃいます。できればとくに僕の女性の友達の方はみないでください(笑)。

注2: お前がいい男なのかどうかは検証しないのかという至極まっとうな議論はこの際しません。みたくない現実というものが誰しもあるのだよ、ワトソン君。


僕が20代のころから、思っている&ルールにしているものに、「ご飯を一緒に食べてその後デートを続けるかどうか決める」というものがある。このルール、ときどき煩悩その他から破ったこともあるが、まちがいなく100%後でがっかりする結果が出ているので、基本守るようにしてます。以下、その理由をば。


1) ご飯を食べると性格がわかる
ご飯を食べると、その人の性格がそのまま出る。ポイントは二つ。

a. 好き嫌いがあるかどうか
経験上、ご飯の好き嫌いと、人の好き嫌いというのはかなりの相関がある。「ごめんなさい、私~は食べれなくて。」というのが、かなりの数ある人は、付き合いだした後、「(僕の友達の)~は受け付けない」といわれることがあったりする。逆に、何でも食べる人は、比較的人間の器が大きいタイプが多い。僕は30過ぎてからは幅広く友達をもつようにしているので、ここでNGを出されるとけっこう困ることがある。なので、好き嫌いなくなんでも食べる人はそれだけで好きになります(笑)。

b. 遠慮なく食べるかどうか
目の前に男がいると、「私、今日は食欲なくて」みたいな感じで食べない人はときどきいる。逆にこれまでの経験上、たとえば一緒に二人で3人前の食事を食べれる人は、性格もオープンで非常にいい関係が築けることが多い。別に3人前の食事を食べなくてもいいのだが、食べる姿をオープンにできる人は、Outgoingでかつ信頼していい人が多い。



2) 食事代の払いがその人間の自立度を示す
これは、僕の女性の好みの問題なので人に完全によるのだが、僕自身は、しっかり自分のキャリアを築いていて、お互いにお互いのキャリアについてアドバイスできる人がタイプ。で、これを見分ける方法が、(ナマナマしくて恐縮ですが)一緒に食事をいったときに見せる、支払いのときの態度。

僕はとりあえず、自分が払う様子を見せる。そのときの態度で、ほぼ100%その子と付き合うべきかどうかははっきり見える。

a) まったく無反応(のふりをしている)or 「ご馳走様~」と言う。
基本、結婚して家庭に入るとか、男の稼ぎで食べていければOKというタイプ。このタイプは「楽しかったよ!またね!」といってその後連絡しない方がよい。

b) 「いくら払えばいいかな?」と聞いてくる。
→この答えに対しては「え、ここはいいよ、じゃあ、次の店でコーヒーとかおごってくれる?」と重ねて聞くのが僕のパターン。
この質問に対するリアクションによってさらにここから2つに分かれます(笑)。

b-1) 「ありがとう。うんわかった。」というタイプ。
これは、こちらとしては態度は保留。女性として、一部の男がおごるのが好きなことを知っていてそれに乗っかっている場合もあれば、まあ順番におごりおごられで対等に関係を築こうとしているケースもある。この時点ではまだ判断できないので、しばらく様子をみる。

b-2) 「え、いいよいいよ、いくら?半分だすよ!」というタイプ。
これは、食事に限らずどんなことでも相手と対等にやっていこうと考えている証。このタイプは、なんとしても付き合ってもらえるようにがんばるべき。人生に対する考え方がしっかりしていて、本当にいいパートナーになれる人がほとんど。
ただし、「こんな男はタイプじゃないから借りはつくりたくない」というケースもごくまれにあるので、そのときは撃沈する(涙)。

念のために言えば、実際に割り勘にするかどうかというのはこの際どうでもよい。本人の独立心、経済観念と、友達づきあいに対する態度を見ることがこのルールの目的。

「おお~、この子かわいい」とか、若いときは煩悩に負けてこのルールを破ることもあったが、100%あとでがっかりしてきたので、僕はこのルールを信用している。

まあ、家庭的なタイプの人が好きな男性or 女の子におごればかっこいいと思われると思ってる男性(苦笑)は(特に日本は)腐るほどいるので、僕の見方はかなりマイナーなのだとは思います。あくまで僕の個人的な見方なので、そういうもんだと思って読んでくださいまし。

10/18/2010

「学歴差別」は日本独自の言葉

ひさしぶりのポストです。
最近、日本で「学歴差別」という言葉をひさしぶりに耳にしました。アメリカでは(僕は)聞いたことがない言葉です。別に、アメリカがすべて正しい、という気はさらさらないですが、なぜ聞いたことがないか、をちょっと考えてみたいと思います。


1. なぜアメリカでは「学歴差別」という言葉が使われないか
それは、学歴が個人にとっても企業にとっても機能しているからです。アメリカでは学歴と職歴は密接に結びついています。(例:キャリアがピカピカでないとトップスクールには受からない、トップスクール出身者が多くの企業でマネジメントの要職についている。)もちろん、学歴がなくてもビジネスで活躍されている方は星の数ほどいます。僕が言いたいのは、学歴があることはこちらでは誇るべきことで、自他ともに学歴を評価するきわめてまともな土壌があるということです。学歴というと狭すぎる、「学校」が、ビジネスと社会の成長に大きく貢献している、という実感が、アメリカにはあります。


2. では、なぜ日本では「学歴」がアメリカほど機能しないのか
「日本の教育は詰め込み型だからビジネスで使えない」等、いろいろな話を聞きますが、僕は、大きく二つの理由があると思っています。

a. エリート教育に対する「嫌悪感」
日本には、本当の意味でのエリート教育は存在しないと思います。エリート教育の定義はいろいろありますが、ここでは「企業および社会をリードすることを前提とした教育」です。この間、日本の記事を読んでいてびっくりしたのですが、東大早慶の卒業生に限定した新卒採用を問題と考える人もいるようです。

別に、東大早慶に行っている学生がすべていいなんて言う気は(現状を見ていると)さらさらないですし、学歴をみないで採用することも企業として当然あっていいと思います。(すべてその企業の方針の問題です。その企業の将来に責任を持たない第3者がごちゃごちゃ言う問題じゃない。)が、逆に問いたいのは、「なんのために学校が存在するのか」ということです。たとえば経営系のコースをもつ難関大学を出ることが、社会をリードする人間を作ることに直結しないとみなされることは、非常に大きな問題ではないのか?僕からすれば学校のカリキュラムや学生の選抜制度を批判するべきであって、学歴と職歴を結びつけることを批判するのは、社会としておかしい。学校がキャリアパスとして機能しないのは、社会的な問題だと思います。この背景に、個人的には「エリート教育」というものに対して日本はアレルギーがあるように感じています。日本はこのアレルギーを廃し、学校での学びが職歴につながるような教育が行われるようにならなければいけない。

b. 日本に閉じた教育
あと、アメリカで学んで思うのは、アメリカの教育現場の方が、学生にとっては、ある一面において競争が厳しい。何を言いたいかというと、アメリカは、(特にトップスクールほど)留学生を受け入れているからです。そして、その留学生が授業の質の向上に大きく貢献している。たとえばHBSのベイカースカラーは、留学生の全体に対する割合33%を大きく超えて、留学生が多数取っています。(僕のクラスの場合、6人のうち3人は留学生。)留学生によって、アメリカのエリート教育はその厳しさと質の高さを実現している一面が明らかにあります。

翻って、日本は、アメリカほど留学生を受け入れているわけではない。職場が国際化を唱えているのに、学校が国際化されなければ、職歴につながるような教育になりにくいのも仕方ない面があると思います。日本の大学、そして大学院は、その質を上げるためにも、もっと留学生を受け入れて、その質の向上を図るべきと考えます。

8/31/2010

凡人が狙ってハーバードMBAに受かる方法(3.社会人3年目 - エッセイ編)

さて、いよいよ社会人3年目、(予定どおりいけば)いよいよ受験だ!(あなたが学生時代にこれを読んでいれば)あなたはこのときまでに、GPA、TOEFL、GMATのスコアを固め、他の人にはないユニークな経験(学生時代の起業orインターンシップ、グローバル企業でのリーダーシップ、NPOでのボランティアスタッフ, etc)をしているはずだ。ここから一年は、これらをフルに活用して、受験に入っていく。

3年目は、することが目白押しなので、エッセイ編とその他に分ける。ということでまずはエッセイ編。エッセイは、力を入れて作れば大逆転が狙える分野であり、かつアドミッションが最も重視するものだ。
ここはこれまでとはちょっと書き方を変えて、レジュメ、エッセイとは何かを考えた上で、その書き方を考えてみる。


A. レジュメとはなにか - それは、あなたの「成長プランとその達成の記録」
あなたが実際に「書いて」提出するものとしては、レジュメとエッセイがある。その二つを使って、何を示したいかといえば、「あなたが将来大きな成功を収めるであろう、ポテンシャルのある人材であり、ビジネススクールが投資するに足る人間であること」だ。

これを示すために、レジュメでは、「成功体験」そして「成長の歴史」を示す。言い換えると、あなたがすでに小さな成功体験を積み重ねてきており、MBAで学ぶことで大きな飛躍をすることが期待できることを示すということ。ここでよくある間違いは、今までの「成功体験」さえ書いていれば十分だと思うこと。成功体験があることは必須で、そこに加えて計画性がなければならない。一年目の仕事からステップアップして2年目の仕事をし、2年目の仕事からステップアップして3年目の仕事をしていること。そして、そこにMBAで学ぶことを加えるとさらに大きな成長が期待できることがわからなければならない。

そういったレジュメを書くには、最初からそれなりの計画性をもって仕事をしていなければならない。だからこそ、一年目にレジュメを作り、「これから何を書くか(どんな仕事をするか)」を考えたわけである。一貫性をもってキャリアを作ってきたかどうかはレジュメをみればわかる。早い段階でレジュメを作り、何を書くかについて2年間頭を悩ましていれば、(言い方は悪いが、仮に経験が人並みであろうとも)いいレジュメになっているはずだ。



B. エッセイとはなにか - それは、あなたの「個性とビジョンを示すもの」
では、エッセイとは何か。一言で言えば、エッセイとは、レジュメにかけないことを書くものだ。では、「あなたが将来大きな成功を収めるであろう、ポテンシャルのある人材であり、ビジネススクールが投資するに足る人間であること」を判断するために、レジュメ以外にアドミッションが知りたいことは何か。それは「あなたがどういうプランをもっており、どういうことを考えて仕事をしてきたか」ということだ。

繰り返しになるが、あなたが「将来」成功するかどうかが、アドミッションにとってはもっとも重要であり、それの核になるのがあなたの人生に対する考え方だ。レジュメに現れるあなたの「過去の」成功体験はあくまで「将来の可能性」をはかるための、あなたの考え方の発露としてとらえられている。どれだけ過去の成功体験が華々しくとも、核となる考え方がつまらなければ、将来の成功はたいして見込めない。逆に言えば、エッセイに書かれた考え方が面白く深ければ、(たとえ過去の成功体験がそこまで大きなものでなくとも)ビジネススクールの学び次第で大きく化ける可能性が出てくる。この理由で、エッセイはアプリケーションにおいて最も重要なものであり、かつ逆転の余地をもっとも大きく残すものだ。

エッセイでよくある間違いが、単純に成功体験だけを書き連ねることだ。成功体験ならば、レジュメだけでいいはず。アドミッションが知りたいのは、あなたがその成功体験(や失敗体験)の裏側で、何を考えてきたかだ。経験がそれほど特別なものでなかったとしても、それによって示されるあなたの考え次第で、そのエッセイはいくらでも輝く。それぞれのエッセイにおいて、いかにユニークでその人にしかない考えを示すことができるかを問われていることを、深く頭に刻んでほしい。


C. エッセイをどう構成するか - 競合を考える
では、考え方を示すものとして、エッセイをどういう風に構成するか。学校によって課題数はことなるが、3から8個のエッセイを各学校に対してあなたは書くことになる。そのエッセイにどういう内容を書けばいいのか。

エッセイを読むときにアドミッションが考えていることは、「(ほかの学生ではなく)あなたがその学校のクラスに必要かどうか」である。ビジネススクールでは、学校の中に、世界の縮図を作りたいと思っている。たとえばクラスの1/3はインターナショナルにすることで、生徒間でたとえば中国、インドといったマーケットやその国発のグローバル企業の考え方をお互いに学びあう。インダストリーにしても同様で、クラスの中に金融、IT、流通、バイオ、様々な業界のリーディング企業出身者が集うように、クラスを構成する。

あなたのエッセイをアドミッションが読んだときに、彼・彼女が「このアプリカントは他の学生の学びに(ほかのアプリカントよりも)貢献できる」と思わなければならない。よくある間違いが、「僕は有名企業XXで△△なプロジェクトをしました」ということで十分だと考えること。有名企業出身、その会社で若手有力株であることは、トップスクールだと当たり前。たとえばMicrosoftで若手有力株というだけでは、不十分。IT業界だけでも、Google、IBM、HP、Cisco、有名な会社はたくさんある。それらからきた受験生と比べて、あなたをとるだけの意味を示さなければいけない。国籍もそうだ。もともと、国際経済における日本の重要度は次第に下がってきている中で、日本人を取ることの意味も昔と比べると小さくなってきている。たとえ仮にアドミッションが「日本マーケットについて話せる学生がクラスにひとりくらいほしいな。」と思ったとしても、日本人を取るとは限らない。場合によっては、「日本で働いたことのある」アメリカ人もしくは他のインターナショナルをとるケースもありうる。彼をとると、一人で「日本のマーケット経験+アメリカもしくは他のマーケット経験」を他の生徒に共有してくれるからだ。(実際に、僕はそういう日本を代表できる経験をもったインターナショナルにHarvardで会った。)

こういう厳しい競合状況の中で、あなたは「自分をとることは、ほかの学生をとる場合よりも明らかに意味がある」ということを示さなければならない。


D. エッセイ全体でどうまとめるか - 3つのペルソナ
僕は、上記のことを考えたときに「3つのペルソナを用意しよう」と考えた。ペルソナとは英語では仮面のことだが、パーソナリティの語源でもある。心理学のとある考え方のひとつに、「パーソナリティとは、ペルソナの集合体である」というものがある。エッセイライティングにおけるペルソナとは、あなたの考え方と、それを表現するエピソードだ。

MBA受験において、エッセイでは自分のビジネスや社会での経験をもとにして、自分の考え方を示す。エッセイひとつひとつでは、よほどの経験もしくはすぐれた考え方でなければ差は生まれない。僕のアプローチは、「ひとつひとつのエッセイで勝負するのではなく、エッセイの組み合わせであるアプリケーションを多様なエピソードの集合体として構成することで、全体としてユニークな個性を示す」というものだった。

人によっては企業経験のみをベースにエッセイに書く。それだと、最初の仕事、そして次の仕事という形で、ペルソナとしてのバリエーションは多くの場合2つくらいになる。(そしてその二つは似通ったものになりがちで、場合によってはアドミッションからすると1枚にしか見えていないこともある。)ペルソナの枚数が1,2枚と少ないと、個人として平板に見えがちな上に、同じ業界の人間とエピソードが似たようになる危険があり、差別化しにくい。そこで僕は、Microsoftでの二つの仕事(Web開発におけるピープルマネジメントの経験、仮想化のプロダクトマネージャとしてIT業界におけるリーダーシップ)で2枚のペルソナ、そして社会を企業の外からみた体験としてNPOでのリーダシップで1枚のペルソナ、そして場合によって社会に対する心理学的な考察として大学時代の心理学について4枚目のペルソナを揃え、この3, 4枚のペルソナをどの学校のアプリケーションにもすべて入れるようにして、立体的なパーソナリティを示すようにした。

前のエントリで述べたように、ビジネススクールは、企業活動だけではなく、社会全体に対して、広い視野をもってリーダーシップを取れる人物を探している。僕は、IT業界でのリーダーシップだけでなく、NPOでの経験を同級生と共有することで、他の学生の学びに貢献することを考えた。Microsoftでの経験についても、日本のIT業界の経験、US法人の視点それぞれの経験をもっていることを打ち出し(=1枚のペルソナでも実は2枚あるように見せて)、自分のユニークネスを示すようにした。ひとつひとつのペルソナ(エピソードとそこに表れる考え方)が面白いことは当然で、それだけではなかなか差がつかない。しかしエッセイの集合体であるアプリケーションパッケージ全体では、様々なペルソナを用いて多面的に自分を見せることでいくらでもユニークさを打ち出せる。たとえば以前のエントリで述べた「学生時代の起業or Internship」「NPOへの参加」といったものがあると、自分の異なる側面を示すエピソードが増え、アプリケーションがよりユニークなものになる、ということである。

*ちなみに、以前のエントリを読んでいただいている方はわかると思うが、「学生時代の起業or Internship」「NPOへの参加」は、あればいいものだが、マストの条件ではない。(日本人アプリカントだとない人の方が圧倒的に多い。)僕も「学生時代の起業」はやっていない。「やっていればよかった」です(笑)。ここで言いたいのは、「あなたはアプリケーション全体を複数のペルソナから構成しているか?」ということだ。一つのエッセイだけでは見えにくい「自分の姿」そのものを、様々なエッセイ・エピソード(=ペルソナ)を用いて全体として立体的に構成することができれば、アドミッションがあなたをクラスに必要不可欠なユニークな存在と見る可能性は大いに高まる。


E. ひとつひとつのエッセイをどこまでユニークにするか - 200題のエッセイを読む
全体として3枚以上のペルソナを用意し、各エッセイ課題に対してどのペルソナをベースに何を書くかを決めたら、あとは書き方の問題だ。実際に書き始める前にぜひやっていただきたいのは、実際の合格エッセイを読むことだ。

これには二つ理由がある。
1. 合格するエッセイは、書き方というレベルではかなり自由度が高いことを知る
2. 一方で、各学校・各設問ごとに、好まれるエッセイの傾向の存在を知る

たまに受験生のエッセイを読むと、非常に堅いものが多い。いや、堅いなら堅いでいいのだが、その人でなければ書けない、ユニークなエッセイというものにはなかなか出会えない。考えてほしい。あなたがHarvardのアドミッションだとすると、よまなければいけないのは合格者のエッセイだけではない。900人の枠に対して、合格率は10数パーセント。アドミッションは個人でも千を優に超えるアプリカントのエッセイを読まなければならないのだ。ありきたりなものや、読んでそもそも意味がよくわからないものは、それだけで合格率が下がるはずだ。。

では実際にうかるエッセイはほんとに面白いのか?
エッセイを書き始める前に、僕は下記の本&Webで合格者のエッセイを200本ほど読んだ。読むと、いかに合格者のエッセイはユニークでバラエティに富むかがわかる。

また、受験終盤には学校ごとに改めて読み直してみると、学校の設問ごとに、合格するエッセイのポイントが見えてくる。ポイントをつかみつつ、いかにユニークなエッセイを書くかにフォーカスすることができれば、あなたのエッセイはおのずと面白いものなるかと思う。

僕が受験したときは、Harvardの最初の設問は、「大学時代になにを学んだか」というものだった。ここで、僕はどうしても以前に書いた「ヒトとネズミ」の話がしたくなり、
最初の一文を「僕は大学で、ヒトとネズミが違うことを学んだ。」で始めた。

結果、面接でアドミッションにあったとき、全部終わって席を立つ最後の最後で「あなたのエッセイは理解するのが難しかったわよ」とにっこり笑って言われた。完全に不意を突かれて「さ、さんきゅー」ときわめて間の抜けた返しをしてしまい、(これってよかったってことなのか?!)とその後30分ほど帰りの車の中で悩んだのを今でも覚えている(笑)。

エッセイは、考えれば考えるほどユニークないいものがかける。エッセイはその学校への、あなたのラブレターだ。あなたにしか書けないラブレターを書いてほしいと思う。

8/28/2010

凡人が狙ってハーバードMBAに受かる方法(2.社会人2年目)

「凡人が狙って~」もいよいよ(ってまだ学生編と社会人一年目しか書いていないが)社会人2年目です。一年目にもらったコメントにも書いているが、ここで書いていることは一例、かつ理想論(僕は実際には社会人6年目に受験している)ので、あくまで「こういう考え方、方法論もある」というふうに考えてください。


さてさて、2年目は地ならしです。

A. GMATで700点以上をとる
非常にありきたりなのだが、TOEFLの次はGMAT。TOEFLが早く仕上がれば、すぐに社会人一年目からGMAT対策を始めてください。逆にTOEFLが仕上がっていない場合は、「いつ合格したいか」と「仕事の忙しさ」の兼ね合いでGMAT対策のスタートを決めることになる。ただ、3年目で受験する予定で行くならば、遅くとも社会人2年目の頭にはGMAT対策をはじめることが望ましい。

受験生と話をすると、よく「本当に700点ないとだめですか」という質問を受ける。実際には、600点台で合格している人もいます。ただし、そういう人にはほぼ確実に理由がある。有名な会社からの社費留学であったり(ビジネススクールにおいて、「卒業後の進路」はその学校の業績ともいうべきもので、社費留学だと入学時点ですでにその業績ができることになる)、ものすごいキャリアを持った人だったり。で、そういうのにあてはまるのであれば、600点台でもいいかもしれない。が、キャリアやエッセイで逆転できるのは相当にまれなケースです。(大多数は、「点数も出してキャリアもエッセイもピカピカ」なわけです。)点数が低くてもいける確信がないのであれば、(トップスクールを狙うのであれば)たとえ受験を一年延ばしてでもGMATの点数はしっかり700点にはのせた方がいい。逆に、700点を越してしまえば、GMATは足きりなのでそれ以上時間を費やす必要はない。(僕も710点で止めている。)

*予備校に相談した場合、見切り発車でエッセイに移ることを薦めるケースもあると思う。実際、前のエントリで述べたようにあなたが年を取ること自体はネガティブに働くと思っていい。しかし、足きりにかかることを考えるのであれば、700点をとって足きりをクリアし、かつ一年かけて仕事面でより大きなアチーブメントを重ねることにも意味がある。このバランスは慎重に考える必要がある。

GMATは、TOEFL同様に努力がほぼ100%結果を決める。よく「GMATのスコアは運だ」ということをいう人がいるが、個人的にはあのテストはかなり正確にその人の学力(というかGMATというゲームの理解度)を反映すると思っている。僕自身、一年ちょっと時間を費やして勉強したが、「今の実力だとこのくらいの点数かな」と思った点数がほぼ10点ほどの誤差でそのまま毎回のテストで出ていた。点数が出ないのは、頭のよしあしというよりは単純に費やした時間が必要量にまったく足りていないケースが多い。あなたがもともと英語圏で勉強したことがないのであれば、自分がアメリカ人で(学部留学もせず)いきなり日本の大学院を日本語で受験するのを想像してみてほしい。相当の努力が必要なことがわかるかと思う。

GMAT対策をどう行うかは、TOEFL同様、個人の好み。Official Guideだけで700点出す人もいれば、いろいろな予備校に通って点数を上げる人もいる。僕は後者で、「時間をお金で買う」感覚だった。多くの方は最初は点数がでなくてへこむ(僕もへこんだ(笑))が、GMATはやればやった分だけ確実に点数があがる。ここでくじけずに、がんばってください。


B.キャリアでエッセイにかけるネタをそろそろ作っていく
一年目のレジュメ作りで、いかに自分がキャリアとして蓄積が少ないかを実感していれば、2年目の半ばになれば、意識的に仕事に取り組み、少しづつレジュメに書けるネタ、エッセイにかけるネタができてくるはず。(もちろん2年目も、随時レジュメはアップデートしていってください。)

もちろん、社内的に脚光を浴びる仕事をすることも大切だが、レジュメ、エッセイで書くべき仕事はそれだけではない。
実際にレジュメを書いているとわかるのだが、会社では隣の同僚がやりたがらないような仕事でも、意味のある仕事が数多くある。部署をまたいだタスクフォースであったり、他の部署からの頼まれ仕事であったり。

そういった中に「隠れた重要な仕事」をみつけるコツは二つある。ひとつは、仕事に対して、自分のレベル、自分の上司のレベルだけでなく、部門長のレベル、社長のレベル、さらには本社のレベルにまで上がって、その意味を考えること。それによってその仕事がもつ意味がしばしば大きく変わってくる。(そして、マネジメントの視点で考えたことはそのままエッセイにかける!)そしてあなたの取り組み方自体も、あなたの意識の仕方によって変わってくる。

もうひとつのコツは、単純だが、「少し余分に仕事をする」こと。隣の人、他の部署の仕事を手伝うことで、見えていなかった会社全体のビジネスが見えるようになり、社内のネットワークも広がります。エッセイのネタさがしだと思って(笑)、積極的にいろいろな仕事に手を出してみてください。


C. NPOに参加しリーダーシップを発揮する
これは日本の受験生はあまりやっていないが、アメリカや日本以外の国からの受験生はけっこうな割合の人がさまざまなNPO活動に参加し、その経験をもってビジネススクールに来る。ぜひ、受験の2年ほど前から企業以外の別のコミュニティに所属して、自分のものの見方を鍛えてください。僕は、これは単純にMBA受験のためではなく、あなたの人生のために強く薦めます。

ビジネススクールは、ビジネスリーダーというのは企業活動だけではなく、社会そのものに対して鋭い視点をもち、社会を変えていける人と考えている。仕事だけでなく、NPOに積極的に参加して、社会の様々な問題に取り組んできた実績のある人を高く評価する。

NPOに参加すると、企業にいるとなかなか見えてこない社会問題に触れ、その問題に高い理想をもって取り組む(企業にいるとなかなか会えない)人々に会うことができます。その中にボランティアスタッフとして参加することで、あなた自身が見えてなかったものが見えるようになります。僕も、受験の一年前(もっと早くに参加すべきであったと後で後悔しました)からとあるNPOにたまたま参加する機会があり、そこで高い志をもったスタッフの方、ボランティアの方にお会いして’、自分のものの見方を大きく変えられる経験をした。自分の人生を豊かにするためにも、NPOに参加することを強くお勧めします。

では、どういったNPO活動に参加するか?(NPO活動それ自体に意味があるのだが、ビジネスリーダーの卵という観点で言えば)「社会を考える上で、企業活動だけではカバーできない分野に、ビジネスの観点を生かしてリーダーシップを発揮する」ことに意味がある。

ヒントをだそう。あなたは、受験する学校のページをちゃんと「活用するために」読んでいるか?各学校、「これらの研究に力を入れています」とアピールしている部分がある。学校名とResearch, Initiative, Centerとかでひっぱればいい。たとえばHBS, Stanford GSBならこんなかんじ。

ぶっちゃけ、ふたつとも似ている。言い換えれば、二つの学校が社会においてそれらの問題に取り組むことはビジネスリーダーの責務と考えているということだろう。そして、それぞれの分野で活躍している有名なNPO団体がたくさんある(かつ、企業サイドで経験をつむことが難しいものが多い)。ここまで説明すればわかると思うが、そういう分野でNPOのボランティアスタッフとして経験をつむことが、企業の枠を超えて自分を成長させるいいチャンスになるということだ。

日本は、アメリカ等と比べると、まだまだNPO活動に参加する人が少ないと言われている。NPOサイドも、社会経験をもち、やる気のあるボランティアスタッフを探しているところが数多くある。あなたが職場で培った経験をもってNPOで活動することで、日本の社会に(ビジネススクールに行く前から)仕事以外の面で影響を与えることができます。ぜひ、ビジネススクールに行く前から、社会に影響を与える活動に参加し、リーダーシップを発揮してみてください。


D. 奨学金情報を集め始める
ここでいう奨学金とは、学外の奨学金。学内(たとえば僕ならハーバード)の奨学金は、合格した後に申請できるので、受かったあとに考えるのでよい。
学外の奨学金は「必須ではないが取ったほうがよい」ものです。学外の奨学金がなくても、トップスクールでは入学後に学内の奨学金として学校から給付、もしくは貸与で十分な奨学金がもらえ、(在学中は)お金の心配をする必要はない。しかし、学外の奨学金をもっていることはアプリケーションにおいて優秀な人材であることの証明になる。また、学外の奨学金にアプライすることで、その財団の方々(こちらも、高い志をもって社会のために動かれている方々)と出会う機会ができる。ないといけないわけではないのですが、とれるのであればとってください。

MBA受験でアプライできるもので有名なものはロータリー、フルブライトなどがあります。ロータリーは地区によるが早いところは年明けの3月くらいから募集が始まった記憶がある(詳細は各自でチェックしてください)ので、前年のうちから情報は集めておくことをお勧めします。

8/25/2010

僕が受かったのはスタバの人たちのおかげ。

どうでもよい話題なのだが、僕にとってMBA受験の勉強部屋は、とある駅中にあるスタバだった。僕は昔から人気のないところでは勉強できないたちで、さわがしいところほど集中力があがる。図書館とかで勉強しようとすると、「僕は勉強してます」みたいな空気がむずがゆく、自分がカッコ悪く思えて、とても集中できない。なので、僕は今も昔も何か集中して作業をするときは、基本的に喫茶店にいく。


日本を離れて3年経つので今どうなのかわからないが、昔は日本の喫茶店の多くは席について一時間も経つと、席を立つよう店員に追い立てられた。(ちなみに、アメリカではまずそんなことはない。)最初のころはあちこちの喫茶店をめぐってはいやな思いをして、ほかに移る、ということを繰り返していた。そんな中、見つけたのが前述のスタバだった。


ここは、店がすいている限りは客に干渉しないところで、かつほどよく人がいて、自分にとってはとても居心地がよかった。いつも座っていた奥の席はちょうど目の前に改札があり、疲れるとよくその雑踏をぼんやり眺めて疲れをとった。そして、この店は夜11時まであいていることもありがたかった。GMATの勉強の佳境だった社会人5年目-6年目は、仕事も非常に忙しく、会社を出られるのはどうしても夜9時ごろ。僕はいつも会社帰り、夜10時前にここに立ち寄っては店がしまる11時まで1時間ちょっと勉強していた。

土日もこの店にきては、昼前から夕方まで勉強していた。さすがに、コーヒー一杯でずっといるのは悪い気がして、かつ自分はコーヒーがもともと好きだったこともあり、1時間半おきに一杯のペースでコーヒーを買っていた。だが、そうすると土日は昼食をはさんで日に3杯、4杯と飲むようになる。休みが続く年末年始などは飲みすぎて胃を悪くしてしまい、カフェミストに切り替えたのを覚えている(笑)。

あの頃店員だった人たちも、今はもうとうに別の仕事をされているのだと思う。このブログが読まれることはないだろうけれど、伝えられるなら、売上げに貢献しない変なおっさんをそっとしておいてくれてありがとう(笑)、と伝えたい。

8/23/2010

凡人が狙ってハーバードMBAに受かる方法(1.社会人1年目)

この間、たまたましゃぶしゃぶ屋(変な店ではないです、あしからず)で出会った某Nさんに「Takaさんいつ更新するんですか?」と言われたからではないですが、ひさしぶりに更新。いやはや、読者がいるのはありがたいことです。。


さて、MBA受験の計画において、ここからは自分が実際にやったことをベースにしたアドバイスです。プランとして4年目で合格することを念頭に、書いてます。(僕の場合は、けっこう回り道があり7年目になりましたが、後述のように今は3年でキャリアをまとめてMBA受験するくらいの気持ちで行くほうがいい。)

で、そんなMBA受験においては、就職~就職して一年目、が実は一番大事だったりします。


A. 「アドミッションが好むキャリアになる」会社に入る
なんかシビアなことを書いて、と言われそうだが、これが実はMBA受験において一番大事です。以前にも書いたが、トップスクールは、「将来その国、そして世界を動かせるビジネスリーダーの卵」をとろうと思ってます。なので、受験する時点で、すでにある程度その片鱗をみせなければならない。GMATの点数などより、キャリア自体の方がはるかに重要。

「わかりやすく」その片鱗を見せるには、
1. 世界経済をリードしている会社 で
2. MBA受験の時点(目標としては入社3年目)ですでにリーダーシップをみせる
のがよい。

日本国内の就職で1を満たすには、Toyota、Sonyといった、グローバルの市場で日本を代表する企業か、Google, Goldman Sachsといったグローバルな市場をリードする企業の日本支社で働くのがわかりやすい。(何度も「わかりやすい」と書くのは、これが多くの人が使う方法のひとつにすぎないから。ほかにも、日本のキャリア官僚として数年働く、いきなり会社を興して数年で売却までもっていく、など、いろいろアピールできる方法がある。ただ、凡人がやる就職活動において、とりやすい方法のひとつが上記。)

2つめの条件の背景は、ここがけっこう見落とされがちなのだが、ビジネススクールはビジネスリーダーをつくるための学校なので、リーダーシップを仕事で見せていない人は基本受かりません。さらに、MBA受験は、実は若ければ若いほど有利。学校ごとの平均年齢は、各自チェックしてほしいが、Harvardだとたしか最近では26, 27くらいが合格者の平均年齢になってきている。これは、「若い段階でMBAをとってもらって、MBAを武器にその後のキャリアをじっくり伸ばしてもらうほうが、本人にとってよい」と多くのビジネススクールが考えるようになってきているから。と、いうことで、入社3年目くらいにはそれなりに大きな仕事でリーダーシップをとることを求められる会社が望ましい、ということになる。(今どきないのかも知れないが)「うちの会社では最初の10年は先輩の机ふきだよ」なんてことを言われる会社だと、MBA受験は難しい。

で、この1と2を実現する上で考えられる選択肢のひとつが外資系企業で働く、というもの。外資系企業の多くは基本少ないリソースで仕事を回すので、若い段階で責任の重い仕事をさせてくれることが多い。僕はこの観点でMicrosoftを選び、実際にVirtualizationのマーケットの立ち上げを担当させてもらったり、日経コンピュータといった業界紙に写真入りで自分の記事を載せてもらうことができた。業界は自分が好きな業界でかまわない、自分が若い段階で、業界(のごく一部)をリードできるような会社に入るのがひとつの方法です。


B. がむしゃらに働く
まあ、言わずもがななのだが、いくらTOEFL, GMAT等のMBA受験の準備を進めても、キャリアがピカピカでなければトップスクール合格はおぼつかない。なので、初年度はとにかく職場で認めてもらえることに全力を尽くす。また、このときに、できれば生涯のメンターになってくれるようなボスを見つけておくことが、キャリア形成上非常に大切。


C. 英文レジュメを作る
入社して半年目、もしくは一年目くらいに、英文でレジュメを作ってみるとよい。(僕は受験一年前だったので、その反省から。)英文レジュメとは、単純に自分が何をやってきたか、だけでは書けない。(そういうレジュメをときどきみるが、そういうレジュメは役に立たない。)「どういうプランを現在もっており」「その中で何を達成してきたか」を書くのが英文レジュメ。

最初はフォーマット等もわからないと思う。ひとつのアドバイスとしては、有料のエッセイカウンセラーに相談してみること。彼らは、エッセイ作成の一環としてまず最初にレジュメ作りをサポートしてくれる。3年後に受験したいと思っており、3年後にベストなレジュメを作るうえで、(レジュメに載せられるような)仕事をどう積み重ねていけばいいか、最初の相談をこの時点で始める。就職して一年目なんて、通常はレジュメに書けることなんてほとんどない。そこから何をどうひねり出すか、そして何をここから2年で達成してレジュメに書くかを考え、苦しむことがこの時点での目的。

レジュメを意識すると、自分が今している仕事がキャリア上どういう意味を持つか、常に考えるようになる。ひとつの会社に長い間在籍すると、「その会社で評価される」仕事に目が行きがちだが、必ずしもそれが「社外、転職市場で」評価される仕事とは限らない。MBA受験においては、社内からも評価されプロモーションしており、かつ一方でそのキャリアが「社外でも」評価されるものでなくてはならない。レジュメ作成はこの「社外」の視点を与えてくれる。僕の場合、受験一年前にレジュメを作ってから、仕事のやり方が自分でもわかるくらい大きく変わり、たった一年で驚くほどレジュメ映えする仕事を積み重ねることができた記憶があります。



D. TOEFLをトップスクールの合格者平均点 にまでもっていく
MBA受験において、時間がかかるのがTOEFL, GMATのスコアメイク、そしてエッセイ作成。
僕はTOEFLの勉強を、確か社会人3年目の途中からスタートし、途中仕事が忙しくなったりして一度中断したりもしている。この反省から、これからのMBA受験者には、社会人になる段階でTOEFL受験を始めることを薦めます。

現実問題として、日本のMBA受験生の中には、就職して3, 4年目くらいに今やっている仕事に一区切りがつき「MBA受験でもしてみるか」となり受験を検討、そこから1年後に合格するつもりで勉強を始める、という人がけっこうな数でいます。が、TOEFL、GMATスコア、エッセイ作成は、それぞれ満足いくものをつくろうとすると、トータルで最低でも2年は見積もった方がよい。(中には、一年ですべてやる人もいるが、そういう人は一年でやっちゃってください。以下は凡人向けアドバイス)。昔、予備校の人に聞いた話だと、受験準備を始めた人の中で、最終的に満足のいくスコアをとって受験にたどり着ける人の数は1/3ほどだそうだ。多くは、すべてが中途半端になって受験もできないか、受験しても満足のいく学校に出願できなかったりする。

なので、かつての僕のように、海外経験がほとんどゼロの人は、それぞれに一年かけるつもりで、社会人一年目からTOEFLに取り組むことを薦めます。とにかくすぐに受験し、自分の実力がどの程度かを見定めるとよい。(TOEFLは僕のときは回数制限もなく、毎月受けられた。今もおそらく同じ?)一年でどこまで到達するかというと、「HarvardやStanfordの合格者平均=足切りライン プラスアルファ」が最終目標。

TOEFL CBTではトップスクールの足きりラインは満点の90%、270点と言われていた。そして合格者平均は当たり前なのだがいつも常に数点~10点ほど高かった。おそらくiBTでもたいした違いはないと思う。せっかく一年かけて勉強するのは、この「合格者平均」を狙うためだ。

あなたが海外で英語で仕事をしていれば、べつに足きりさえクリアすれば問題ないのだが、もしそうでないならば、TOEFLで高得点を狙ってほしい。アドミッションは日本人に通常「英語ができない」という先入観がある。だからこそ、逆に「英語が使えるかどうかのものさし」であるTOEFLにおいて、足きりより上の合格者平均の点数を出すことが、その疑念を払拭し、Positiveな印象を与えることにつながる。僕のときはリスニングで苦しみつつも、一年ほどかけて280/300(Listeningは28/30)に到達した。

TOEFLの勉強の仕方は、いろいろ情報が出まわっているかと思うので、それを参考にしてほしい。僕の場合はTOEFL全体については予備校に通い、Listeningに関してはPowerPrepの音声をそのままcreative Muvo(MP3 Player)にMP3にして落とし、会社の行き返りにシャドーイングして克服した。TOEFL、GMATの点数の良し悪しは最終的には帰国子女であるなしとはまったく関係ないものになる。受験勉強として時間をかければ絶対に合格点に到達できる。キャリアと違い、この部分は完全に自分の努力のみで解決できる、MBA受験の中で実は最も楽な部分なので、がんばってほしい。

8/12/2010

凡人が狙ってハーバードMBAに受かる方法(0.大学時代)

前にもどこかで書いたが、僕は新卒入社段階でMBA受験をプランして、(いろいろと試行錯誤の末)ハーバードに入学した。入学したから言うわけではないが、「これをやればおそらくうまくいくのでは」という仮説がある。以下、何回かにわけてそのプランを書いてみる。最終的には、社会人4年目にMBAに入学することを念頭においている。

最初は、大学時代に何をするか、という話。のっけから矛盾があるのだけれど、僕は大学時代はそこまで明確にMBA受験をプランしておらず、ふつーにのんびり勉強していた。なので、以下は「これをもっと意識的にやっておけばよかったかも」という話。(ということで、「0」番でスタートです。)


A. しっかり勉強する
ナンのため?いわゆるGPAのため、である。トップスクールの合格者では平均は余裕で3.5を超える。え、3.5がどれくらいすごいのかわからない?GPAの計算の仕方はちょっと調べればわかるので、調べてみてください。いわゆる日本で言われる「AB固め」というやつをやることになる。

最初からまじめなことを書いて、といわれそうだが、僕は個人的にも、大学時代は勉強するべきだと思う。自分が好きで選んだ専攻に大金を投じて、「大学はつまらなくて勉強しませんでした」という人がいたら、こちらでは「ええええ?!」という話になる。(要は計画性のないやつ、時間の使い方のわかっていないやつという厳しい評価が下る。)大学は、探せば面白い授業が山ほどある。(というか、だからあなたはその大学を選んだはずだ。)自分の場合、他学部聴講を含めて必要単位数を30%は超えて履修していた記憶がある。

また、大学の授業は思っている以上に仕事に役にたつ。好きな授業を掘り下げて勉強すれば、それがそのまま自分の強みになり、思わぬところで自分を助けてくれる。僕の場合、好きで心理学を専攻したが、そこで叩き込まれたのはPDCAの考え方。当たり前のようだが、2週に一回の実験レポートで厳密にロジックを通して書いていないと非常に厳しい点数をもらい、それがたまると落第する、という話があった。ここで、問題の捉え方、解決策の考え方の基礎をたたきこまれた。あと、統計学。統計学は、マーケティングの基本である。(MBAに行っても軽く勉強することになる。)大学時代にみっちり統計学の手ほどきを受けたことが自分にとって大きな財産になっている。


B. 会社をおこす(そして、つぶす)
これは僕もやらなかったもので、本当にやっておけばよかったものだ。学生時代が一番リスクがすくない。どういう失敗をしても、何の傷にもならない。
もちろん、これは「自分が将来会社経営をやってみたい」という人向けの話である。社会人になると、いわゆる「歯車」として特定の業務に特化することをまずは求められる。そのまえに、資金調達からマーケティング、セールスまで全体を見る経験をもっておくことは非常に大きなプラスになるはずだ。(つぶす)と書いたが、つぶすことをおそれるな、ということ。(もちろん成功させることができるならぜひそうするべきだ!)MBA受験では「失敗」から学ぶことが非常に高く評価される。というか、ここで失敗の経験を積んでおくことが、あなたが将来次の会社を興すときに、強い土台になってくれるはずだ。

会社経営が最終目標でないならば、自分が働きたい業界でインターンシップを複数することだ。目的は二つ。フルタイムで就職するときに「こんなはずではなかった」というギャップをなくすこと、そしてこの段階で自分のキャリアのメンター、アドバイザーになってくれる人を見つけることだ。


C. 英語を勉強する
これはありきたりなのだが、(MBA受験をパスできる程度の)英語力に到達するにも、ものすごい時間がかかる。学生のうちにここに到達しておくと、後がものすごく楽になるはず。目安としては、英語で映画をみて内容がとれるところまで到達しておけば、まず問題はないと思う。

8/08/2010

アメリカに来ることとは、自分がマイノリティであることを知るということ

あなたは、ゲイの友達はいるだろうか。レズビアンは?人種問題について友達とディスカッションしたことは?

アメリカにくると、様々なマイノリティが存在することを知る。ゲイやレズビアンも広義ではそうだし、日本人であることももちろんそうだ。そして、マイノリティの、というよりも個人のアイデンティティについて、深く考えることになる。

この国に来ると、多くの人は自分は何か、ということを深く考えずにはいられない。僕もそうだ。下手な英語で授業に参加していかにみんなに自分を認めてもらうか、ということが、こちらに来る前は不安だった。しかし、ボストンに行き、実際に授業が始まると、みんなが自分に払ってくれるリスペクトに驚かされ、涙がでるほど感動した。「TakaはInternationalで英語は第二言語だろ?おれたちはお前の意見を聞きたいんであって、綺麗な英語をききたいわけじゃない。第二言語でがんばってるお前を尊敬してるよ。」

マイノリティを尊重することは、僕に対してだけじゃない。アメリカは他民族の国であり、さまざまなマイノリティが混在する。その歴史を通して、いかにマイノリティ、というよりもそれぞれの個性を尊重し、ひとりひとりが生きやすい社会を作るかについて、深い蓄積がある。

授業が始まるとすぐ、各国の歴史について、それぞれの出身者が昼休みに勉強会を開いてくれ、みんながそれに同席してお互いについて学ぶ。国だけではない、ゲイ・レズビアンについても、クラブがあり、各クラスのゲイ・レズビアンの人間が同様に勉強会を開いてくれる。その勉強を通して、お互いについて深く学び、お互いの違い、というよりもそれぞれのユニークなパーソナリティこそがクラス、ひいては社会に対して貢献するものであることを知る。この勉強会によって、自分がいかにものを、そして他者を知らなかったを思い知らされた。そして、この勉強会を通して、自分のこころの奥底で、相手のパーソナリティに敬意をもって、いい友達関係を築いていくことのきっかけを得たような気がする。

お互いが自分のパーソナリティを、誇りをもって語れる社会。言葉にすると陳腐だが、その場に身を置かなければ、それがどれほどありがたいかはわからない。非アメリカ人というバックグラウンドで、不安を背負って入学した僕にとって、この違いを尊重するという文化が、何よりもありがたかった。

この間、とある日本人と話した際に、「あの人はゲイかもしれない」ということをネガティブなニュアンスをこめて言っているのを聞いて、ショックを受けた。ゲイだということがどうして問題なのだ。自分だって日本人じゃないか。いや、アメリカ人がよくて日本人が悪いということじゃない。それと同じで相手のパーソナリティの重要な一部であろうゲイであることを、どうしてそんな鈍感に否定できるんだ。

そのときわかったのは、自分はこの国に来て、自分がマイノリティであること、そしてマイノリティであることを尊重されることがどれだけ嬉しいことかを明確に知ったのだと思う。僕らは、それぞれが様々なパーソナリティをもって生きている。際立ったパーソナリティをもつことは、マイノリティになる可能性があり、さらにいえばだれもがマイノリティになる可能性をもつということだ。お互いの違いをポジティブに深く学び、大切にしていくような社会になったとき、人は幸せになれるのだと思う。

8/06/2010

他人を気にしているうちは、幸せにはなれない

さっきまで、友人(というか、大先輩ですね(笑))と飲んでいて、合意したことがある。
幸せになる人は、自分がどうしたら幸せになれるかを知っている。


僕は「特別には」幸せなわけではない(そりゃ借金抱えて、母国以外で苦労するのを楽しんでいるのを、ものすごく「幸せ」というのは、はばかりがあります(笑))が、不幸ではないとは、言える。自分がしたいことをしてる範囲において、自分は間違いなく幸せだろう。今まで、一緒に飲んでいただいた先輩も、自分の道を選んで、その方にしかできない生き方をしていた。自分が何をやりたいかを知っているということは、幸せになる方法を知っているということだ。


では、不幸とはなにか。トートロジーのようだが、自分が幸せになるために、何をしたいかを知らない人ではないか。「自分がしたいことをしている」なんて、当たり前のようだが、実は結構な数の人がしていないのではないかと思う。


なぜ、そういう状況が存在するのか。ひとつに、「場」による価値観の強要があると思う。「~をしていることがすごい=幸せだ」といった価値観を強要される状況が、場所によってはある。(例:「 お金をもうけていることがすごい=幸せだ」「xx社で働いていることがすごい=幸せだ」「○○大学を卒業したことがすごい=幸せだ」)


例にあげたことのうち、それぞれ「すごい」までは別に共有してもいい。「すごい」という言葉も非常にあいまいなのだが、「極端」という意味であれば、相対的に定義できる(他者と共有できる)。ただし、「幸せ」は共有できない。「幸せ」というのは、基本として個人に帰属するもののはずだ。たとえばA君がどれだけカレーが好きでも、B君はカレーが嫌いだったら、カレーを食べて幸せにはなれない。そのカレーを「(一般的、相対的に)おいしいカレー」とはいえるかもしれない。でもB君に「おまえはおいしいカレーを食ったんだから幸せだ」というのはおかしい。(すみません、カレーに「幸せ」のすべてを代表させるのはおかしいという、至極まっとうな批判はこの際無視します。)幸せの定義は「絶対」だ。自分が幸せと思うか否か、それだけだ。


だが、場所によって、「幸せ」まで共有することを強要させる状況があると思う。自分で幸せを定義する、というのは、当たり前のようでいて、時に反社会的だからだ。「お前がやっていることは、おれ個人の「幸せ」にとっては何の意味もないよ」ということを、認めたくないようなコミュニティの場合、それは「反社会的」行為になる。


そんなコミュニティに生きる人に生まれる症状は、「幸せになれないことにがんばることを強要されて、ますます不幸せになる」「(自分が幸せになる方法を自覚していないので)どこまでいっても自分が幸せになった気がせず、常に不安になる」といったことだ。自分がどうすれば幸せになれるかを忘れてしまった人は(自分にとっての幸せではないにもかかわらず)誰かが勝手に決めた幸せを(幸せに到達できないがゆえに)どこまでも追っかけ続けるしかない。


そういう人々には、「不安」が絶えず付きまとう。「幸せ」が相対的なものである(しかも実は自分が本来望んでいることではないかもしれない)がゆえに、100%満足できる状況には永遠にたどり着けない。常にベンチマークを探して、「~よりは少し幸せなはずだ」「~よりも幸せというには~がたりない」と考えることを、永遠に繰り返し続けることになる。このために、不幸せな人の特徴として、常に他人の動向が気になる、というのがあると思う。


でも、よく考えてほしい。今、地球上には69億人もの人がいます。そのすべてと自分を比較しているうちに、あなたの人生は終わっちゃうよ。逆に、ほぼ「無数」といってもいい人々が世界にいる中で数人をピックアップして「~と比べて自分は~」とあなたが言うとしたら、その比較はきわめてコミカルだ(笑)。


そんなことをしなくても、あなたは幸せになれる。自分がやりたいことをわかって、それを(我侭といわれながら(笑))やりさえすれば、「自分がやりたいことをやってるんだから、幸せだわ」と思えるようになる。幸せになる方法は、隠されているわけじゃない、実はあなたはもう知っている。やるべきことはただひとつ。「自分がこれをしたら幸せになれる」ということを勇気をもって認めることだ。他人はどうでもいい。あなたにとってもっとも大切な人は、あなた自身だ。

8/03/2010

その違いは意味のある違いか

海外のビジネススクールに受かると、ときに「日本の企業文化(の独自性)について話せるようにしておいた方がいい」という話を聞くかもしれない。

間違っていない。ビジネススクールにおいて、Internationalは自国の経済や企業文化について他の学生の学びに貢献することが求められる。しかし、もっと大切なことがある。それは、自分の仕事のたな卸しだ。

ビジネススクールにおいて、他の学生から学ぶことが多いのは、各国の違いもさることながら、各企業、各業界の違いである。Goldman Sachsの企業文化、P&Gのマーケティングの考え方、Cisco Systemsのビジョン、McKinseyでの働き方、Toyotaの生産システム、といった、本で間接的にしか学べなかったことを、現場で実際に悪戦苦闘した人間に直接聞ける環境は、ビジネススクールにしかないものだ。2年間、各業界のリーディングカンパニーで働いてきた人間と気の置けない付き合いをすることでそれぞれの業界の「空気」について知り、何かあったときには卒業後もその友人を頼ることができるようになる。

日本から海外のビジネススクールに行った場合、大きく「日本」というバックグラウンドと、「自分のいた業界、企業」のバックグラウンドをもっていくことになる。クラスルームに入ったときに、どちらがより、他の学生の学びに貢献するかというと、僕は後者だと思う。もちろん、両方持ち込むべきなのだが、今のグローバライゼーションが進んだ時代においては、優れた企業文化はグローバルに通用する、もしくは将来通用するようになることが多い。Facebookによるソーシャルネットワークしかり、Toyotaの生産方式しかり。最近の例で言えば、中国の企業が日本や米国に進出し、顧客の支持を得ている。

自分のクラスでのバックグラウンドを生かした発言を振り返ってみても、9割がMicrosoftでの経験や、そこで考えたことについてで、日本の独自性についての発言は1割もなかったと思う。(卒業するときにはいかに自分はMicrosoftに育ててもらったかを実感した。)思うに、ビジネススクールに合格する学生は、それまでの経験を生かして、自国だけではなく、世界を動かす人材になることを求められている。大事なのは、自分の経験や考え方でユニバーサルに通用する部分はどこかを自覚するところにあると思う。

8/02/2010

なぜアマゾンが(アメリカで)すごいか

僕は、Amazon.comのヘビーユーザーである。本はもちろんのこと、下着からシェーバーから、食品以外の日用品はほとんどAmazonで買っている。当然Amazon Primeにも入ってる。なんでこんなにAmazonを使うのか、ちょっと考えてみた。


1. ほとんどのものが、Amazonで買った方が安い、かつほぼなんでもある
これは日本でもほとんど同じかな。なので説明省略。
ただし、一点違うのは、アメリカでは本はディスカウントできる。で、アマゾンで売られている本はたいてい店頭で買うよりも安い。ほしい本が必ず見つかってかつ安いのならば、使わない理由はない。


2. このアメリカにあって、品物がちゃんと二日で届く!
これは住んでみないとわからないと思うけど、アメリカの郵便はほんと信用できない(個人的経験なので、「そりゃ違う」という人もいると思いますが、あくまで「僕の」経験です)。いつ着くかはもちろん、そもそも着くこと自体を僕は100%は信用していない(確実に送りたいときはFedexかUPSを使う)。昔、ある重要書類を送ってもらったら、なんと3ヶ月後に着いたときには思わずUSPSになぐりこみに行こうかと思った経験あり(ちなみにしてませんから、たぶんわかってると思うけど)。

なので、アメリカでAmazon Primeに入って、どんなものでも二日で必ず物が届くことにはほんとに感動した。(←アメリカに来て、こういうサービスに対する僕の期待値はものっすごくさがってます。)


3. アメリカは郊外に住むと買い物に行くのがものっすごいめんどくさい。
僕は、今けっこう田舎に住んでいるのだが、こっちにきてほんと買い物にいかなくなった。ものっすごいめんどくさいのだ、日本とくらべて。日本にいたときは、たとえば新宿に行けば、徒歩圏内に何店舗もセンスのいい店が同じカテゴリーであった。2,3時間かけて回れば必ずほしいものが手に入った。こっちでは、店はぽつんぽつんとあるだけで、品揃えも東京には及ぶべくもない。(サンフランシスコとかに住めば、同じような状況にはなるんだろうけど。)なので、ちょっと何かほしくなれば、たいていのものはその品物があるかどうかわからない店舗にわざわざでかけて探すよりも、すぐAmazonで発注して二日待つ方が早いのである。


というわけで、アメリカにいると、Amazon様様になってしまう。今日もほしい本をAmazonで検索している僕である。

7/13/2010

公用語がリーチできる人材の幅を決める

すでに出遅れた感があるけれど、楽天、ファーストリテイリングの英語公用語化について。

けっこう、日本国内では批判の声があがっているらしいが、見方として、従業員からと、マネジメントからの見方があると思う。


まず、従業員の立場からいうと、いやだったら移ればいいだけだと思う。前にも話したことがあるかと思うが、会社と従業員は対等だ。気に食わないのならば関係を解消して、別の会社に移ればいい。(それが会社にとって深刻なダメージになる可能性もあるわけで、楽天やファーストリテイリングのマネジメントはそれを考えた上で決断しているはず。)別に、一国の言語の選択ではない、楽天もファーストリテイリングもどちらも今では大企業だが、あくまで一企業なのだ。それに対して、世論が「こうするべき」というのはおかしい。従業員として賛成できないのならば会社を離れてそれを表明すべきだし、顧客としておかしいと思うならば商品を買わなければいい。いろいろな意見を聞いていると「あなたは10年後の楽天のために、何をするのか」と思ってしまうような、なんの責任も負わずにやいやい言う意見が多すぎる。楽天もファーストリテイリングも、これからの数年を生き延びてさらに成長するために必死で考えてこの手を打っているはずだ。楽天・ファーストリテイリングは企業としてその決断のリスクを背負っている。従業員はそれに対して従業員として意思表明するべきだと思う。


次に、マネジメントから見た場合。僕がマネジメントならば絶対に同じことをする。人的リソースの選択肢が比較にならないくらい広がるからだ。比較の対象として、わかりやすいのが(すでに他のHBS生も書いているが)SAMSUNGだ。たとえば彼らは、わざわざ韓国からHBSにリクルーターを派遣して、世界の市場におけるSAMSUNGの夢を語り、そして他のグローバルトップ企業に引けをとらないオファー内容を提示していた。しっかりとしたサマーインターンシッププログラムも組み、いい人材をHBSをはじめとするMBAプログラムから採ろうと積極的に人材採用に投資していた。実際に、他のHBS生も真剣にSAMSUNGを選択肢の一つとして検討し、優秀なクラスメイトがSAMSUNGに入っている。彼らのプレゼンテーションを見たとき、「これが、SAMSUNGが世界で勝つ理由か」と圧倒されたのを覚えている。同じようなことをしている日本企業は残念ながらひとつもなかった。企業は最後は人だ。世界レベルで優秀な人材を集めようとしている企業に、日本一国からのみ集めた人材で勝負して勝てるかというのは、単純な算数の問題だ。日本一国でローカルにやっていくならば、話は変わってくるかもしれない(それでも、グローバライゼーションが進む世界ではかなりリスクが大きい)が、グローバルで戦っていこうという企業には、英語公用語化というのは、必須のことになると思う。

以前、一度中国の企業に招かれて、中国に伺ってその企業のグローバル戦略を伺う機会があった。会話は当然英語だったのだが、躍進するその中国企業について学びたいと思っていた自分にとって、英語を使ってその場で意思疎通し、マネジメントの視点をダイレクトに学ぶ経験は強烈だった。同じような経験を求めて、世界中の優秀な人材が中国、韓国、インドの伸びる企業で働くことを選択しているのだと思う。楽天、ファーストリテーリングが同じように、世界中から優秀な人材を集める企業になればいいと思う。

6/28/2010

「男は女で決まります」

「いつも男の子に言っている言葉があります。『男は女で決まります』。」

昨日、ランチのときに、シリコンバレーの大先輩に言われた言葉です。どういう意味かというと、どれだけのリスクを人生でとれるかは、一緒にいるパートナーによるということ。パートナーが「そんなリスクはとれない」と言えば、そこでその男の人生は決まってしまうということ。

これは、本当にそのとおりだと思う。そして、あまりに多くの男がそれに対して無自覚過ぎる、とも。


5月ごろだったか、ビジネススクールを卒業して、シリコンバレーで就職したい、という方(男)にいろいろとアドバイスをした。彼は実際にUSに残り、がんばって面接を受けてみたのだが、最近日本での就職を選択したということだ。いつも言うが、アメリカで就職しようが、日本で就職しようが、本人の自由だし、どちらがいいということはない。ハンバーガーが好きだろうが、おにぎりが好きだろうが、そんなこと他人にどうこう言われることじゃない。


ただ、彼からのメールで一点、それは違うよ、と思うところが。
「僕も今田さんのように、独身だったならUSに残ったかもしれないのですが。」


もし、結婚していることが理由で日本に帰ることになったと思っているならば、それはキミが結婚する時点でそういう選択をすでにしていた、ということだよ。僕がキミならば、結婚する時点で「僕は将来USに行くかもしれないし、イスラエルに行くかもしれない。どこに行くかわからない。また、将来起業して無一文になるかもしれない。そこまでのリスクを含めて、僕といっしょになってくれる?」って、確認したはず。結婚しているかどうかは、本質的には問題じゃない。キミのライフプランニング、そしてパートナーとのコミュニケーションの問題なんだよ。


ま、だから僕は独身、ということかもしれないですね(笑)。

6/25/2010

国は選ぶもの、選ばれるもの

USに3年住んで、そして今年の春にヨーロッパで一月働いて思うようになったことに、学校、会社、そして国というのは似ている。


僕がHBSを選んだのは、その教育レベルの高さだけではなく、世界中から優秀な人材が集まり、日々ディスカッションを戦わせる場となっていることが理由として挙げられる。また、現在の会社で働いているのは、この会社が、US、ヨーロッパ、そしてラテンアメリカというという多様なマーケットを相手に、多様な人材が集まって働く場となっているからだ。二つに共通するのは、多様性が生み出すダイナミックな成長だ。


HBSは、積極的に多様な国から優秀な人間を集め、彼らと一緒に学べることが大きな意味をもっている。学校はクラスの30%以上を必ずインターナショナルにし、クラスの中に擬似的な「世界」を作ろうと努力している。世界のさまざまな国で活躍してきた友人とディスカッションする中で、いかに自分が自分でものの見方を閉ざしていたか、自分が見ていなかった可能性がどれだけあるかを痛感した。

今の職場には、「~系アメリカ人」という人たちがたくさんいる。(おそらく過半数を占めるのではないだろうか。)彼ら(とその親の世代)は、この国に魅力を感じ、この国を選んで住んでいる。これは、アメリカが優秀な人材を積極的に受け入れる施策を実施した結果ともいえる。

ベルリンオフィスで働いたときも、職場にはフランス人、イギリス人、スペイン人、トルコ人、イタリア人、多様な人材が集まっていた。様々な人材が集まる組織でのディスカッションは、発想が豊かで、その輪にいるだけで強い刺激をうけた。こういう職場で自分も一インターナショナルとして働くことが、自分の成長において欠くべからざるものだとの思いを強くした。


振り返って日本の人材環境を考えると、それが非常に小さく均質なものであること、そしてその危険性がみえてくる。別にこれはアメリカやヨーロッパとの比較だけの話ではない。

たとえば中国と比較したときに、人材環境においては人口それ自体が大きな意味をもつ。母数が大きければ大きいほど、優秀な人間の数も増えるのは単純な算数の問題である。

母数が小さければ小さいなりの戦い方もある。シンガポールがいい例だ。日本は2007年に一人当たりGDPでシンガポールに抜かれてしまった。(もちろん尺度に異論がある人はいるだろうが)これには多分にシンガポールの積極的な移民政策がもたらした、世界中からの優秀な人材の流入が影響していると思う。均質であることは、それ自体がリスクになりうる。


日本の人と話していて、「日本人は日本に帰って貢献するべきではないか」という話がでてくることがある。しかし、「いかにして優秀な人材を海外から獲得するか」という議論は(自分からもちかけたとき以外)ほとんど聞いたことがない。日本を支えるのが、別に土着の人間でなければならない理由はない。高齢化による「量」的な人材不足がしばしば話題に上るが、均質という「質」的な不足の方がむしろ問題だと僕は考える。

積極的に労働ビザを発行し、特に優秀な人材に関しては永住ビザを発行して、日本にひきとめるようにしなければ、日本の再生はないだろう。優秀な人材に関しては、アメリカに限らず、シンガポールのように、さまざまな国が積極的に獲得に動いている。生活・労働環境として魅力ある場にならなければ、日本の人材不足はさらに深まるばかりだろう。


僕に限らず、世界には「自分にとってほしいものが得られる場」で働くことを最優先にしている人が数多くいる。土着の「日本人」とともに日本を作る、という考え方をせず、世界中の多様な人材の力を借りて国を豊かにしていく発想が、今の日本には必要だと思う。

6/19/2010

新卒でアメリカ企業という選択

僕は大学卒業後、最初の会社としてマイクロソフトを選択した。この選択が今の自分のコアに深い影響を与えている。とくに、以下の3つが、今の僕に大きな影響を与えている。


1. ハーバードMBAにつながるキャリアになったこと
以前書いたように僕は大学卒業時にMBAをとることを計画した。ビジネススクール受験においては、前職で何をしたかということが必ず最初に問われる。最終的には仕事の内容がものをいうので、回答は人の数だけある。なので間違ってもこれが唯一の方法とは思ってもらいたくないが、日本で築いたキャリアで受験する場合、メジャーなルートとしては、大きく二通り。

a. 世界のマーケットをリードする日本企業でキャリアを築く
 b. 世界のマーケットをリードする非日本企業で、日本マーケットのスペシャリストとしてキャリアを築く

ハーバードは、卒業後、世界に対して影響を与える可能性をもった人間を育てたいと思っている。入学にあたっても、その可能性の片鱗を見せる経験を積んできたかどうかをみている。その意味で、a, bというキャリアはそれを感じさせるものになりやすい。

僕は後述の2を期待して、アメリカ企業の日本法人で働くことが自分には向いていると考え、bを選んだ。実際にこのキャリアが僕のハーバード入学(、そして今のキャリア)を強く支えてくれた。


2. 20代で、特定技術のマーケット開拓をリードする経験を積めたこと
一般論として、アメリカの企業では、特定のロールの専門家としてキャリアを築いていき、早い段階から特定の分野に対して責任ある仕事をすることを求められる。若い段階でセールスやマーケティングについて密度の濃い経験を積みたいと思い、僕はマイクロソフトを選択した。特に入社4年目で移ったOSの法人向けテクニカルマーケティング・セールス部隊で、僕のセールス、マーケティングのDNAは作られた。

アメリカ企業の日本法人の面白いところは、アメリカであればひとつのプロダクトに対して複数人でマーケティングやセールスを行うところを、仕事に対して人的リソースが限られるために逆に一人で複数プロダクトを担当できるところだ。

僕の場合、部に移って間もないころ「本社が仮想化製品、あの○○の対抗製品を買収した。来年内製化して出荷するそうなんだが、おまえ、担当してみるか?」とマネージャに言われた。直感的に、これはこれまでのOSビジネスを変えると思い、「ぜひやらせてください」と手を上げた。結局そこから3年、「仮想化」といわれる分野のマーケット開拓に携わった。法人向けソフトウェア分野に関係しない人にはマニアックな話で恐縮だが、2004年末の時点では「仮想化」という言葉自体を市場に知ってもらわねばならない状況だった。それが、今では出荷されるサーバーの5台に1台はこの機能を使用すると言われるまでになった。

担当した当初は、買収された製品のコードがあるだけだった。まずはUSからもらったコードをインストールしてテストし、よくわからないのでシアトルに出張してディベロッパーに直接話を聞く。USにもらったセールスアイデアを「うーん、日本のお客様やパートナー様にはどうコミュニケーションするべきか」と悩みながら日本向けに作り直す。ハードウェアメーカー、販社の方々からフィードバックをいただきながら、日本で売れるプランにさらに直す。文字通り手探りでマーケティング、セールスを行った。そして最初のお客様と二人三脚でモデルケースを作ったり、業界でパートナーといっしょにセミナーをいくつも企画して製品を紹介したり、雑誌やネットに自分の名前入りで紹介記事を出してもらったりhttp://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20060921/248678/、やることすべてが目新しく、本当に楽しかった。

仮想化という技術自体は昔からあったのだが、それまでは特定分野で使われる技術で、一般的には今ほどは使われていなかった。マイクロソフトという立場からその技術をOSと統合し、コモディティ化して市場に広めるという過程に関われたのは、僥倖というほかない。20代半ばの「小僧」に、こんな面白い仕事をさせてくれたマイクロソフトに、僕はほんっっっと~に感謝している。


3. 「日本」を知ることができたこと
これは、外資系の日本法人にいる方ならば誰しも感じたことがあると思うのだが、「日本法人」という立場は、よくも悪くも「日本経済の力」というものを痛感する場だ。日本市場からのフィードバックを本社に送る際、「日本のこの重要なお客様、パートナーからこういう要望をいただいている」、という伝え方をしばしばする。しかし、本社の人間と話をすると、「アメリカのA社からはxxの売上げがあがっている、ヨーロッパのパートナーのB社はxxも売ってくれている」という話が出てくる。こういったA社、B社との比較の中で、日本の市場をいかに売り込むかということが、外資系で働く上では必須のスキルだ。世界の他の市場の動きをにらみながら、いかに日本の価値を示すかということを1社目で経験したことで、外からの視点で日本を客観的に見れるようになった。そして「実際に他の国の人間が受け入れられる」日本の価値を、話せるようになったことは今の自分にとっても非常に大きい。


繰り返しになってしまうが、本当にマイクロソフトでは面白い仕事をさせていただきました。マイクロソフトの経験を生かし切ったと言える30代になるよう、さらに面白い仕事をしていきます。精進!

6/04/2010

「勝ち組」って誰に勝つの?

この間ふと思ったのだが、「勝ち組」とか「負け組」とか、日本でしか言わない気がする。前々から思っていたのだが、日本にいると、非常に抽象的なこと、たとえば「人生の幸せ」みたいなことについて、人と比べることを暗黙のうちに多くの人がやるような気がする。(「勝ち組」って、おそらく人生の、だよね?以降の話はこれを前提に進めます。)


当たり前なのだが、「勝ち」「負け」を比べるからには、同一の尺度で測らなければ意味がない。りんごはりんごと、オレンジとは比べてはいけない。でも、自分の人生って、人と比べられるのか?わかりやすいところでいえば、収入とかをさしているのだろうか?それとも学歴?まあなんでもいいのだけれど、ひとと比べる時点で、「僕はだれかさんと交換可能なその他大勢です」と認めているようなものじゃないのか?誰かと比べることのできる何かのために生きているとしたら、そんな歯車みたいな人生、始まった時点で絶望するべきじゃないのか?


僕が新入社員だったころ、ある先輩に、「同期と比べて、自分をどう思う?」という質問をされた。そのときは、「何をくらべるのですか?パフォーマンスですか?同じジョブロールでない同期とは比べようがないと思います。比べるとすれば、同じロールである先輩との方がいいかと思いますが。先輩と比べて、何が足りていないと思っていて、どういうキャッチアッププランを考えているかならば、話せます。」と言って、嫌な顔をされたことを覚えている(笑)。
この考えは僕が後輩の面倒を見るときにも必ず伝えていた。「同期と自分を比べるな。会社に入りたての、しょぼいひよっこに勝ったところでなんの意味もない。逆に自分の能力を落とすことにもなりかねない。そもそも、やってる仕事も違うものどうしが何をどう比べるんだ?君のライバルは同じ職種の僕であり、(同じ部署の)先輩である~さんだ。ここは外資だ。君のパフォーマンスに対して会社はお金を払う。いかにして僕や~さんに仕事で追いつき、追い越すかを常に考えろ。」


たとえば特定の職務の、特定のパフォーマンス(たとえば営業成績)等については、常にほかとベンチマークしながら数字をあげていくのは正しい。でも、抽象的な「仕事をする」といったこと自体は比べようがない。そもそも仕事をするのは、その仕事が好きだったり、もしくはその仕事の対価として得るお金で自分の夢をかなえるためで、自分がその仕事を好きなことや、自分の夢なんて、誰かと比べられるものじゃない。「比べられる」といっている時点で、仕事に対する思い入れや生活の中の自分の夢を失ってしまっていることを、自分から暴露しているようなものだ。


きっと、「勝ち組」「負け組」といった言葉がはやる背景には、仕事に対する思い入れ、生活の中での夢、といったものについて考える余裕がなく、思考を停止して他人と比べることでしか自分の居場所を見つけられないような社会になっている、ということだと思う。こういう言葉は、早くなくなればいいと思う。

5/11/2010

B-Schoolに行ってよかったこと - 自分の幸せを考えられるようになったこと

B-Schoolに行ってよかったことは何か。数え切れないほどたくさんあるが、最大のものは「自分の幸せを素直に考えられるようになったこと」だと思う。

ハーバードに行く以前、僕は細かく自分の人生のマイルストンを決め、それに沿って行動し、ハーバードに入った。入社3年以内に業界を変えるような新規プロダクトの担当者になり、マーケットを開拓し、業界紙に記事が載るような活躍をし、その実績をひっさげてビジネススクールに入る。
プランは当然学校卒業後についても青写真があり、それに従って途中までは行動していた。

が、卒業間際で、それをポンと捨ててしまった。
(実際には、「ポン」とはいかず、最後まで悩んだのは悩んだが。)


なぜか。描いていた絵が、どうしようもなく色あせて見えるようになってしまったのだ。


目にうつるものの色が変わったことには、いくつか理由がある。


1.どこでも(死ぬほど努力すれば)やっていける自信がついたこと

MBAにくると、(一応は)あらゆる業界への扉が開く。あらゆる業界から、ミドルマネジャーとしての求人が学校にくるようになり、一気に可能性の扉が開く。

もちろん、実際にはそれまでの実績を厳しくチェックされ、選ばれて初めて違う業界に移れるわけで、業界を変えて転職するのは非常にたいへんだ。だが、まちがいなく、ビジネススクールに来る前と来た後では、可能性の幅は明らかに広がる。

加えて、ハーバードでは、600-800のケースを読む。すわなち、多様な業界、多様な会社について、思考訓練を600-800回繰り返すわけである。(紙と現実ではもちろん大きな差はあるが)今まで考えたこともないような業界、企業の決断の場面で考えをめぐらせることを2年間続けると、新しい環境でチャレンジして前に進むことが、DNAに刷り込まれる。

その仕事をやりたいと思い、「死ぬ気で」努力すれば、必ずやりたいことをできるようになれる、というかできるようにする、と考えるようになった。(まあ、大いなる勘違いという話もありますが(笑)。)


2.900人もの多様な同級生と出会ったこと


ビジネススクールのいいところは、多様な業界のトップ企業から若手のエースが集まることだ。ハーバードは毎年900人の学生が世界中から集う。ビジネススクールに来る以前は、自分の中に「~業界ってxxだろうな」「○○社から来た人間は△△じゃないだろうか」みたいな思い込みがあったように思う。が、実際に会ってみると、みんなふつうの学生だ。いやみんなものすごい経歴なのだが、相手も自分も同じ人間なんだ、と思えるようになる。一緒に酒を飲んでバカ騒ぎしたり、夜中に飯を食べながら夢を語ったりする中で、本当にお互いを理解できるようになる。

言うと当たり前なのだが、どの業界、どの企業であろうと、エース級の人間はものすごく優秀で、そして魅力的だ。そして、隣にいるやつがやってきたことと同様、自分がやってきたことは面白いことなのだ、ということに気づかされるのだ。それを、実際に友達を通して体感する中で、「自分にとって大切なものは何か」を考えさせられるようになる。学校に行く前に思っていた「キャリアステップ」として、「~業界をxx年経験して次は~業界へ」といったことは、非常にダサく感じるようになってしまう。どの業界に行くかどうかは問題ではない、自分が何をしたいか、自分でしかできないこととは何かが問題なのだ。


1、2を通して、あらゆる可能性が提示され、友達を通してどの業界にいくかが重要ではないことを知り、初めて、「自分にとって本当に大切なことは何なのだろう」ということを、素直に考えるようになったと思う。

自分にとっては、ダイナミックなインターネットの世界で、様々な人々とともに、世界のマーケットをリードしていく、それこそがやりたいことなのだと気づき、今の職場にいる。日々の仕事は本当にたいへんだが、それは自分がやりたかったことそのものであり、苦労するプロセス自体が楽しい。


ハーバードは、自分の幸せを考える機会を与えてくれた。僕はあの学校に本当に感謝している。

5/02/2010

走るということ、スポーツをするということについて

僕は、昔から、走ることが好きだ。
「お前はなぜ走るか」と聞かれれば、それは間違いなく「自分を知るため」「自分をより正確にコントロールするため」と答えるだろう。


中学校から、僕はクラブ活動としてバドミントンを始めた。バドミントンをやったことのある人はわかると思うが、バドミントンは一にも二にも持久力のスポーツである。基礎体力のために、毎日10kmほどを走りつづけた。クラブ活動としてのバドミントンは高校までで一端終えたが、走ることは大学生になっても続けていた。


走ると最初に気がつくのは、「いかに体が思うように動かないか」ということである。腿は上がらず、息は切れ、思うようにスピードが出ない。その状態に耐えて、しばらく続けていると、少しずつ、全身が自分の思うように動くようになってくる。いや、ただ無自覚に走り続けているのでは不十分で、「腿をこれだけ上げる」「スピードをこれだけ出す」といった、細かな全身のコントロールを意識的に行おうとすることが、少しずつ、しかし確実に自分の体を変えていく。走るということは、僕にとっては自分の体が自分の意のままに動いてはいないことを知ることであり、その自分の体と対話する、という行為だ。その行為を通して、徐々に自分を意識的してより正確にコントロールできるようになることが、自分にとっては走ることの醍醐味になっている。


「自分をコントロールする」というのは、何も肉体だけではない、感情も含まれる。感情に関しては、1対1のゲーム形式のスポーツを通して、自分をよりコントロールできる可能性があることを僕は知った。僕は中高はバドミントンのシングルスをやり、大学生から学校の授業を通してフェンシングを学び、社会人でSunday Fencerになった。バドミントンにせよ、フェンシングにせよ、対戦型のゲームでは、熱が入ると、「勝ちたい」という気持ちが湧き上がり、アドレナリンが自分の運動能力を引き上げ、反射速度を上げる。ゲームを通して、自分の能力が変わるのを体験するのが非常に面白かった。やがて、ゲームの前に、意識して「勝つ!」と感情を高ぶらせることを試みるようになり、自分のコンディションを意識の面からコントロールすることを試みるようになった。感情というのは、きわめて動物的なもので、その発生プロセス自体を変えることはできない。しかし、そのプロセスを理解して、適切な場面で適切な感情が発生するようにコントロールすることは、努力次第でかなり可能だ。


最近になって、週末に走ることを再開した。昔ほどは体は動かないが、その状態を知り、また少しずつ変えていくプロセスが面白い。仕事が一段落して、時間ができたらフェンシングも地元のクラブで再開する予定だ。


前にも書いたことがあるが、ヒトもしょせんはネズミとたいして変わらぬ動物の一種だ。だが、ヒトが面白いのはその条件付けを自分たちでできることだ。生まれ、感情に振り回されて生き、やがて病や老衰で死ぬのは変わらない。しかし、その自分の動物らしい側面を、走ることやスポーツを通してコントロールするというのは、きわめて人間くさい、おもしろい行為だと思う。

4/19/2010

MBA向けシリコンバレー就職術

先週、今年卒業されるMBAの方に、どうやってシリコンバレーで就職活動をするか、について話をした。前のエントリともかぶるが、以下簡単に。

「これをやったらうまくいく」という保証は残念ながらまったくできないが、「自分がもう一度就職活動するとしてもやはりこうする」というものです。


1. シリコンバレーに来る

前にも言ったが、ここではハイアリングは「今度Facebookでアプリ作りたいんだけど、いいエンジニア知らないかな?」「あ、最近会社起こした~君ができるんじゃないかな?」といった具合に、友達のネットワーク内で話が完結することが多い。そういうネットワークでみつからず、でもどうしても必要、という場合に外に告知を出す、というわけで、Web等にでてきている時点で情報は相当古くなっている。

MBAだと、「MBA向け」のリクルーティングが存在している。いわゆる学校での面接である。IT系の大手であれば、Top School専任のリクルーターというのが存在して、シーズンには学校を東から西へと行脚する。この手の面接に申し込むのは当たり前なのだが、これはいわばステップゼロで、これをやること自体はシリコンバレーに絞って就職したい場合ほとんど何もしていないに等しい。(もちろん、この手の面接で内定がもらえるなら万々歳で、できるならこれで一つは確保してくださいまし。)

シリコンバレーにはものすごい技術をもって、少人数で組織を回しているところがごろごろある。MBA的な感覚でいえば、こういうところに入って20代後半から30代にひと勝負するというのがおもしろい、ということになる。が、こういうところはわざわざTop Schoolに人を派遣するような時間もお金ももっていない。でも、彼らの多くもMBAは欲しいと思っている。こちらから出向けば、扉が開く可能性は十分にある。

これらの企業に対して、先ほど言った内輪でのハイアリングの機会をつかむためには、シリコンバレーに来て住む、ということがまずは重要。具体的には、MBAであれば、サマーインターンシップでくることができるのなら、絶対に1,2ヶ月はそれを使って来るべき。インターンシップはフルタイムよりは採用しやすいので、扉は開きやすい。夏直前に学校にくるスタートアップ系インターンの求人を利用したり、あるいは直接連絡して、インターンを申し込む。もしくは、大学の先生にBay AreaでOBがやっている会社を紹介してもらう、ということも、B-schoolであればできる。
すでに2年生でインターンシップを逃している場合は(経験上、図太くない人にはあまりお勧めはしないが(笑))卒業後にすぐこちらに越してきて、OPTを使って就職活動をする、という手もある。

授業期間中も就職活動できるという意味では、StanfordやBerkeleyはこの点若干有利になる。(でも、あくまで「若干」。決定要因には全くならないので、他の大学の皆さん、簡単にあきらめないように。)



2. 人に会いまくり、Partyにでまくる

来るだけでは、当たり前ですが何も動きません。当然のごとく、人に会いまくらねばならない。では、誰にどうやって会うか。Top Schoolであれば、Alumni Databaseが必ずあるはず。これを使って、かたっぱしから学校の先輩に会うこと。多くの学校では、Bay Areaに就職するOBOGが毎年大量に存在する。この方々があなたの頼みの綱になる。(この意味で、Bay Area以外のMBAであっても、チャンスは十二分にあるということになる。)その方に、ランチやコーヒータイムのひと時をいただき、アドバイスをもらう。頼めばあってくれる方々が驚くほどいらっしゃいます。また、あなたが外資系出身者でBay Areaにオフィスがあるなら、そのネットワークを使うのもアリ。

会うときは、電話でもいいが、先方がOkしてくださるなら直接あう方がいい。直接あった方が、あなたの人となりや、それまで何をやってきたかを伝えやすい。「今Bay Areaにいるので」と伝えれば、向こうも時間を割きやすくなる。

で、何を話すか。ちょっと相手の方の気持ちを考えればわかることではあるが、間違っても「仕事ください」みたいなことは言わないこと。忙しい時間を使って、何の面識もないあなたに、ただ後輩というだけで時間をくれているわけです。あなたのCredibilityはゼロなのに、そんなあなたに仕事をだすか、ということ。なので、話し方としては、「自分は~という仕事をやってきた、自分は~という理由でどうしても~関連の仕事をここでしたい。学校の先輩である○○さんから見て、私のようなキャリアの場合どういうことをすべきと思われるか、アドバイスをください。」といった感じ。

目の前でちゃんと話ができて、具体的なあなたのプロファイルがわかれば、(非常に)親切な方ならば、「キミのレジュメは~がよくない、~について詳しく書いてみなさい」であるとか、「僕の友達で、~をやっている人がいるから、彼のアドバイスもきいてみなさい」といったアドバイスをくれるかもしれない。いただいたアドバイスを真摯に受け止めて、自分の就職活動を修正した上で、さらに紹介していただいた方に会う、というのを繰り返していく。

あと、Partyにもでまくること。HarvardやStanfordだと、Networking partyが3ヶ月に一度くらいの割合で必ずある。学校のPartyや、友達経由でProfessional向けのPartyに出まくる。そういう場に出向いて、就職活動している自分の状況を率直に伝えると、そこから人を紹介してくださる先輩や友人が必ずいる。

こうして、とにかく人にあいまくり、アドバイスをもらい続けているうちに、自分のプロファイルにあった話にそのうち出会い、面接が始まる(Hopefully、ですが)ということになる。とにかく、いろいろな人に会いまくること。「Bay Areaにきたがうまくいかなかった」というのは、Alumni DBをチェックし切って、OBOGから紹介していただいた方すべてにお会いした後で初めて言えることで、ここまで到達するには実際に相当時間がかかる。


3. 注意点:自分がもっているものは率直にみせる。いただいた機会に感謝する。

これは僕の考え方だが、もっているもの、考えていることはできる限り率直に伝えた方が、Bay Areaではうまくいくことが多い。

遠い日本でかつて働いていて、最近MBA(Candidate)になったあなたは、ここの基準でいうと、最初の時点では「Potentialはあるかもしれない」その他大勢の一人です。Bay Areaでの経験値がない状況であなたが仕事をつかめるチャンスがあるとすれば、熱意によるところが大きい。忙しいスケジュールを割いて、極東の島国から来た若者に時間をくださった目の前の方に、貴重な機会をくださったことを感謝して、簡潔に自分のやってきたことと、将来に対する思いを伝え、アドバイスをいただいてみてください。

就職活動自体は、渦中にいるとちょっとたいへんだと感じるかも知れないが、終わってみると非常に楽しかった、ということになる。Bay Areaには、ここでしか会えないようなすごい方がたくさんいらっしゃいます。その人たちに時間をいただき、いろいろアドバイスをいただくことができるのは、MBAという学生の特権。ぜひ、エンジョイしてください。そして、もし運よくBay Areaでの就職が決まったら、自分が先輩にしていただいたことを自分の後輩にもしてあげてください。

4/04/2010

シリコンバレーでの就職活動、何が難しいのか?

今朝も、別の日本人の学生さんと話をした。彼の場合は、USでの就職相談。Stanfordの理系のマスター取得予定で、新卒として就職活動するらしい。1時間ほど、どうやって仕事探しをアメリカでするかをアドバイスした。


日本人だと、MBAにせよ、MSにせよ、「英語が下手」だとなかなかアメリカでの仕事は難しい、ということがまことしやかにささやかれている。正しい。非常に正しいです。僕も今も職場で苦労してますよ。

でも、「難しい」というのは、日本人がアメリカで就職できない、いや「しない」理由ではないと思う。最近転職した自分の経験から、トライすれば、十分にチャンスはある。最大の理由は、「日本人のネットワーキング能力」そして「マインドセット」の問題だと思う。


僕はHBS卒業後、そのままとりあえずシリコンバレーにきて、就職活動を開始した。とりあえず、OPTで働きながらキャリアをつなぎ、同時並行でビザをサポートしてくれる仕事を探し始めた。卒業にあたって、僕には一年先輩でおなじようにIT系でこちらでの就職活動に成功した先輩がいて、彼からいろいろとアドバイスをいただいた。いえ、今でも折にふれアドバイスいただいてます。本当に感謝しております。


で、彼のアドバイスは「とにかくネットワークをひろげなさい。」というもの。アメリカは学校のネットワークがそのまま仕事のネットワークになっている。とにかくいろいろな人にあってアドバイスをもらいながら、シリコンバレーで仕事を探している自分の存在を知ってもらいなさい、というものだった。そこで、僕はハーバードのサンフランシスコOB会に折に触れて顔を出し、いろいろなアドバイスをいただいた。また個人的にも先輩方にアドバイスを伺い、そこでもいろいろと教えていただいた。

ハーバードやスタンフォードといった有名大学はOB会がしっかりしており、卒業生は折に触れてネットワーキングパーティを通して、また個人的にコンタクトして情報交換を行い、お互いにささえあっている。人材雇用に関しても、「~という人が後輩にいて、~ができる」「~というポジションで今人を探している」という情報を常にネットワーク内で交換しており、それがきっかけで面接が始まることもある。

そしてこのネットワークは、開かれたものだ。ハーバードの人はスタンフォードの人につながっているし、スタンフォード卒で今Googleで働いている人は、Facebookに元同僚がいる、という感じ。大事なのは、どこかに入り口を見つけることで、ハーバードでもいい、Googleでもいい、とにかくどこかのコミュニティに入って、そこからネットワークを広げること。一箇所突破口を見つければ、あとは本人次第だ。


僕が思うに、日本人にとって、この「ネットワーク」の重要性を理解することが難しいのだと思う。日本ではまだまだ「終身雇用」的な企業が多く、社外のネットワークの重要性を意識する機会が少ない。大学院等でぽっとこちらにやってきて、下手な英語で積極的にネットワークを広げていくには、それなりの慣れが必要だ。(逆にいえば、自動的に「学生」という免罪符をもらって、いろいろな人に会うことのできるビジネススクールや他の大学院は、日本人にとって最高のトレーニング場になりうる。)

そのネットワークの場所で、日本人にとって難しいのは、「キャリアの見せ方」だ。ネットワーキングする上では、「自分は~~をやってきました」ということが必要。ただし、日本人で大学院でこちらに来た場合、多くは日本企業出身で、なかなかやってきたことを(日本を詳しくは知らないアメリカ人に)わかりやすく、かつAppealingに伝えることが難しい。でも、ここもいくらでも工夫はできる。たとえば日本のマーケットに興味がある会社の人には「自分は日本市場の~を知っている」ということを伝えることができ、日本市場向けの仕事のチャンスを教えてもらえたりする。
(ちなみに、外資系出身者はこの点非常に有利になる。まず、外資系大手は会社名が知られている。さらに重要なのはJob Title。外資系は多くの場合Job Titleが万国共通なので、相手に容易に自分のやってきたことを伝えられる。場合によっては、「日本向け」ではないポジションも紹介される。自分も、前職のキャリアのおかげで、今の職場ではUS, Latin Americaの戦略立案を担当している。)

ここまで書くと、「やっぱり日本人にはネットワーキングは難しいのでは」と思うかもしれない。ええ、その通りです。でも、僕が思うに、最後にものをいうのは熱意だ。「自分がアメリカで働きたい」という思いを伝え、謙虚に自分がやってきたことを話し、アドバイスをお願いすれば、多くの人がアメリカ人も日本人もアドバイスをくれる。僕も、数え切れない人に、信じられないくらい親身にアドバイスをいただき、助けていただきました。この場を借りて御礼申し上げます。就職活動を通して、僕はこの国の懐の深さを改めて知り、ますますこの国で働きたいと思うようになった。あなたがアメリカで働きたいならば、そこには何がしか、あなた自身のこの国、もしくはその仕事に対する思いがあるはずだ。その思いを率直にぶつければ、それに応えてくれる人は必ずいる。たとえ、10人にアドバイスをお願いして断られたとしても、11人目にチャレンジしてほしいと思う。

この国は、チャレンジする人に厳しいくらい平等にチャンスを与えてくれる。僕も、「こうやれば必ずうまくいく」ということは言えない。でも「この国での就職は、チャレンジするだけの価値がある」ということは言える。もちろん、アメリカで働くか、日本で働くか、どちらを選ぶかは、はっきりいって好みの問題だ。ただ、僕は、アメリカの大学に飛び込み、違う言語で学び、今また違う文化圏で就職活動をしようとする方を尊敬しているし、ぜひがんばってほしいと思う。

4/03/2010

ヒトとネズミは違うのか

さきほど、学生さんと話をした。(え、おまえ仕事してるのかって?してます、たぶん(笑)。自分がそうであった、今もそうであるように、誰かが話を聞きたいと言ってきたときは、できるだけ自分が学んだことを人に伝えようと、MBAを出てさらに思うようになりました。)

そこで、「自分の転機になったことはなにか?」という質問をいただいた。学生に向けて、ということで、僕が学生時代に考え、今でも記憶に残っていることとして、ネズミに関する思い出を。


僕は、大学時代心理学専攻で、半年ほど、ネズミを使った学習実験を行った。きわめて古典的なもので、ネズミがレバーを押すと餌が出てくるというものだ。実験自体はシンプルなもので特筆すべきものではない。ただ、半年間もネズミ二匹を世話していると、愛着がわいてくる。名前をつけ、日々その行動を観察していると、「ネズミにもこんなにも個性があるのだ」ということに気づかされる。ぼんやり、薄暗い実験小屋でそれらの世話をする中で、ネズミを通して動物の進化の過程の、最初の一ページを開いたような気持ちになった。

ある日、ふと、「自分たちヒトとネズミに、違いって本当にあるのか」ということが頭をよぎった。大学3年の暑い夏の日に、ふと頭に思い浮かんだ馬鹿な問いだ。でも、その問いは「お前は何をもって自分を自分と決めているのだ」と語りかけてきた。僕らは普段、自分は唯一無二の存在、個性をもっていると考え、日々いかにして「自分らしさ」を出せるかに四苦八苦している。でも、ほんとに、その「個性」はそこまで意味があるものなのか?ネズミにだって個性はある。ネズミが僕らにとって、(たとえどんなに愛着がわこうと)突き詰めればネズミでしかないのと同じく、僕らはどこまでいってもヒトという種の枠は超えられない。僕らが大事に思っている個性というものは、客観的にみればネズミどうしのちょっとした違い程度のものなのではないのか。

そんな考えが頭に居座るようになり、それは、実験が終わったあとも残った。就職活動が始まり、自分の居場所を探す中で、自分を含めたまわりの動きをみていると、ますます、自分の疑いは深まっていった。

四年生になり、卒業が近づく頃、別段、特別な出来事が起こったわけではない(もしくはすでに忘れているのかもしれないが)、気がつくと、「それでいいじゃないか」と思うようになっていた。本来的には違いなどないと思う方が、むしろ「自分」というものを取り戻せるのではないか、と思うように。ネズミがネズミであるのと同じように、ヒトはどこまでいってもヒトでしかない。自分は数多くいるヒトの一匹なのだ。


逆説的だが、そう思うようになって、自分にとって「ヒトであること」が見えてきた。

ひとつは、ケージを選ぶ、ということ。僕らは、自分のケージは自分で選ばなければならない。会社、住む場所、コミュニティ。学習実験のケージに入れられたネズミが、3ヵ月後には訓練前のネズミと別物になるのと同様に、僕らも入るケージによって、自分というものを変容させる。そして、幸か不幸か、僕らは自分のケージを(意識する、しないに関わらず)常に選んでいる。ならば、意識して選んでいこう、自分のケージを。そして、自分の変容は自分でコントロールしよう。

もうひとつは、僕らの長い時間だ。ヒトは、ネズミの何倍、何十倍も長く生きる。時間は、動物を変容させる。我々の多くは学習はヒトの特権だと思っているが、特権は学習自体にはない。ネズミにだって学習はできる。僕らに与えられているのはその時間なのだ。僕らはネズミよりはるかに長い時間を生きる。その時間を、意識して学習にあてるか、漫然としてすごすかは、その個体次第だ。ならば、日々少しでもいい、学習を重ね、個体として成長しつづけよう。長く生きることに意味をもたせよう。


そう思うようになり、時は流れ、僕のケージは東京、シアトル、ボストン、そしてシリコンバレーに移り、ゲームのスタートアップで新しいマーケットに挑戦している。今も、ちょっと寿命の長いネズミのチャレンジは続いている。

3/22/2010

Q. USのビジネススクールに合格しました!何を用意すればいいでしょうか? 

A. 頭を用意(準備)しましょう
ビジネススクールに合格すると、「~の参考書(日本語)を準備した方がいい」「~を買っていった方がいい」という怪しい(笑)情報が飛び交う。ええ、僕も踊らされて日本語の参考書については何冊か買いました。

が、結論から言うと、まったく要りません。というよりも、むしろもっていかない方がいい。
言うと当たり前なのだが、勉強するためにB-schoolに行くわけで、参考書、その他はすべて学校から配布されます。で、翻訳された本があった方がいいかというと、多くの場合そもそも読む時間がない。たとえばHBSでは明らかに容量オーバーな量の宿題が出され、それをいかに効率よく処理できるようになるかを求められる(これは、入学したときに、アドミッションから実際に言われた)。で、そんな状況で2倍の時間をかけて本を読む時間などまずありません。

また、英語の教科書というのは、非常によくできているものが多く、入学した当初は、「教科書ってこんなにわかりやすいものなのか」と感動しました。なので、学校からもらった英語の教科書をそのまま読み込むのが、勉強する上では一番の近道です。

さて、ここからが最も重要。多くの学校では、受かった瞬間に、けっこうな量の宿題(ファイナンス、アカウンティングの基礎など)が出されているはずです。これを、なぜか多くの学生はやりません(笑)。が、これが実は重要です。宿題は必要だから出されています。この宿題の内容をなぞる形で、ものすごいスピードで授業がスタートします。最初につまづかないためには、余計なものには目もくれず、出された宿題をきっちり理解しておくことを強く勧めます。

さて、参考書以外に必要なものは?何もないです。だって、アメリカですよ。日本で手に入るものはすべてアメリカで手に入ります。ああ、強いてあげれば、衣類は(サイズやデザインのテイストが少し日本と違うので)ぴったりフィットするものを持っていってもいいかも。あくまで強いてあげればですが。

3/21/2010

シリコンバレーにきた大学生へのアドバイス


この間、日本からシリコンバレーにきた卒業間近の大学生に会う機会があった。(仮に、Aさんとしておく。)今後の社会人生活についてアドバイスが欲しい、ということなので、事前に以下の3つの宿題を出した上で会った。

1.「5年後」に、Aさんが理想の仕事をしていると仮定して、「誰が」、Aさんに「いくらの仕事を」依頼するか。ほかの人ではなく、Aさんに仕事を依頼する理由は?(「5年」は、3年でも、10年でも、好きなように変えていい。)
2.今の自分に、「失って惜しいもの」は存在するか?
3.私への質問


これらの質問の意図は何か。
1.キャリア形成をする上で、独立するにせよ、誰かの下で働くにせよ、自分の価値をわかっておくことが重要。とくに、シリコンバレーでは、自分が認めている価値と、他人がみた価値が合致している人間だけが仕事にありつける。

当然、日本の大学を出たばかりだと、はっきりいって価値は、ほぼないに等しい。ただ、日本社会は、多くが戦力になるまで1,2年の猶予と教育を与えてくれる。これをうまく使い3年先、5年先にどういう人間になるかをプランしていなければ、まず、日本でしか働けない人間になってしまう。

シリコンバレーでは、「お客様がだれか」、ということも非常に大切だ。シリコンバレーにいる多くの日本人は、「USにビジネスリレーションがほしい日本企業」にサービスを提供している。そして、その次が「日本市場に興味があるUS企業」、そしてもっとも少ないのが、「US (or 世界)に展開しているUS企業」(つまり、日本に関係ないかたちでサービスを提供する)である。これらはどれがいい、悪いの問題ではなく、自分の強みと自分が何をやりたいか、の問題である。ただし、社会人になる段階からこれを意識しておかないと、多くの場合、日本企業にしかサービス提供できなくなる。

具体例をだそう。僕自身は、大学卒業時に、数年先にMBAをとってUSで働くことを考え、最初にUSのソフトウェア企業の日本支社に入った。MBAのアドミッションや、US企業が僕のレジュメをみたときのことを考えてのことだ。レジュメをみるとき、アドミッションもUS企業も、会社名、ジョブタイトル、実際にやったこと、という順に内容をチェックしていく。そのとき、USのよく知られた企業名がぱっと目に入ってくると、(たとえロケーションがTokyoであっても)その仕事内容も容易に想像がつき、スムーズに面接に呼ばれやすくなる、ということを考えていた。

もちろん、本人が日本企業に対して将来サービス提供したい、と考えているならば、むしろ日本に根を下ろした企業に勤める方が近道かもしれない。また、外資系に勤めなければUSで働けない、ということはまったくない。ポイントは、もし本人が、たとえば「USに展開しているUS企業」に将来サービスを提供する人間になりたいと考えているのならば、最初からそういう意識でキャリアを築いていかないと、やりたいことは何年たってもできるようにならない、ということである。常に自分が将来お客様としたい企業を想定し、そこに価値を明確な形でAddできるように意識して仕事を選んでいく必要がある。将来US企業で日本以外の市場に対する価値提供をしたいと考えていながら日本企業を最初の一社として選ぶならば、そこから次につながる一手を意識して日々の仕事をしなければならない。





2.今の自分に、「失って惜しいもの」は存在するか?これは、機会費用の話だ。人間は、動物として、自分が今やっていることが意味がある、と肯定するようにできている。たとえば、「日本にいて僕は就職ランキング1位のB社につとめています」みたいなことが、意味があると思うようになる。それが、学生時代からやりたかったことなら、それでいいと思う。でも、仮に「僕は将来世界の市場相手に、SNSのスタートアップを立ち上げてサービスを展開したい」と学生時代思っていたとしたらどうだろう。この場合、日本企業ではたらくことは、その夢に近づくための一歩のはず。しかし、働きだして3年、5年たつと、実際に目の前にチャンスが転がり込んできても、多くの人はそれをとろうとしない。目の前のものが大切だと思うようになってしまっているからだ。

でも、本当に、目の前の仕事は絶対に守らねばならないものなのか?あなたが当初思っていた一生かけてやりたい仕事なのか、よく考えるべきだ。本人に能力があれば、その人間が手にする機会は、その人間が成長するにしたがって大きくなる。本人が能力が高ければ高いほど、基本的には「すでに覚えた仕事」よりも「次の新しいチャンス」の方が「失って惜しいもの」ということになるはず。本来能力さえあれば、手元にあるもので「失って惜しいもの」などほとんど存在しないはずなのだ。

Aさんは「今のところないです。」ということだった。学生の方は、その多くが漠然となりでも夢をもっている。「今、そう思っている気持ちを忘れないようにしていれば、常に成長できる」という話をした。





3.私への質問
メールで、この質問の下に、僕は自分のLinkedInのURLを張っておいた。そこで彼に期待したのは、どこまで僕のバックグラウンドに踏み込んで、質問できるか、ということだった。

ビジネスは、基本はひととひととのつながりで発生する。今の時代、インターネットを使えば、名前さえわかっていれば事前にその人間のことをかなり調べられる。ひとと会うときは、できるかぎり調べこんで、事前にどうやって相手の気持ちをつかむか、を考えて欲しい、という話をした。ひとは、基本的に自分に興味をもってくれる人に好意をもつ。「一期一会」というのは正しくて、一回一回の出会いを大切にすることができれば、それが将来よりおおきな出会いを自分にもたらしてくれると思う。(この部分は、自分もまだまだ試行錯誤しているところですが。)