6/25/2010

国は選ぶもの、選ばれるもの

USに3年住んで、そして今年の春にヨーロッパで一月働いて思うようになったことに、学校、会社、そして国というのは似ている。


僕がHBSを選んだのは、その教育レベルの高さだけではなく、世界中から優秀な人材が集まり、日々ディスカッションを戦わせる場となっていることが理由として挙げられる。また、現在の会社で働いているのは、この会社が、US、ヨーロッパ、そしてラテンアメリカというという多様なマーケットを相手に、多様な人材が集まって働く場となっているからだ。二つに共通するのは、多様性が生み出すダイナミックな成長だ。


HBSは、積極的に多様な国から優秀な人間を集め、彼らと一緒に学べることが大きな意味をもっている。学校はクラスの30%以上を必ずインターナショナルにし、クラスの中に擬似的な「世界」を作ろうと努力している。世界のさまざまな国で活躍してきた友人とディスカッションする中で、いかに自分が自分でものの見方を閉ざしていたか、自分が見ていなかった可能性がどれだけあるかを痛感した。

今の職場には、「~系アメリカ人」という人たちがたくさんいる。(おそらく過半数を占めるのではないだろうか。)彼ら(とその親の世代)は、この国に魅力を感じ、この国を選んで住んでいる。これは、アメリカが優秀な人材を積極的に受け入れる施策を実施した結果ともいえる。

ベルリンオフィスで働いたときも、職場にはフランス人、イギリス人、スペイン人、トルコ人、イタリア人、多様な人材が集まっていた。様々な人材が集まる組織でのディスカッションは、発想が豊かで、その輪にいるだけで強い刺激をうけた。こういう職場で自分も一インターナショナルとして働くことが、自分の成長において欠くべからざるものだとの思いを強くした。


振り返って日本の人材環境を考えると、それが非常に小さく均質なものであること、そしてその危険性がみえてくる。別にこれはアメリカやヨーロッパとの比較だけの話ではない。

たとえば中国と比較したときに、人材環境においては人口それ自体が大きな意味をもつ。母数が大きければ大きいほど、優秀な人間の数も増えるのは単純な算数の問題である。

母数が小さければ小さいなりの戦い方もある。シンガポールがいい例だ。日本は2007年に一人当たりGDPでシンガポールに抜かれてしまった。(もちろん尺度に異論がある人はいるだろうが)これには多分にシンガポールの積極的な移民政策がもたらした、世界中からの優秀な人材の流入が影響していると思う。均質であることは、それ自体がリスクになりうる。


日本の人と話していて、「日本人は日本に帰って貢献するべきではないか」という話がでてくることがある。しかし、「いかにして優秀な人材を海外から獲得するか」という議論は(自分からもちかけたとき以外)ほとんど聞いたことがない。日本を支えるのが、別に土着の人間でなければならない理由はない。高齢化による「量」的な人材不足がしばしば話題に上るが、均質という「質」的な不足の方がむしろ問題だと僕は考える。

積極的に労働ビザを発行し、特に優秀な人材に関しては永住ビザを発行して、日本にひきとめるようにしなければ、日本の再生はないだろう。優秀な人材に関しては、アメリカに限らず、シンガポールのように、さまざまな国が積極的に獲得に動いている。生活・労働環境として魅力ある場にならなければ、日本の人材不足はさらに深まるばかりだろう。


僕に限らず、世界には「自分にとってほしいものが得られる場」で働くことを最優先にしている人が数多くいる。土着の「日本人」とともに日本を作る、という考え方をせず、世界中の多様な人材の力を借りて国を豊かにしていく発想が、今の日本には必要だと思う。

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