10/18/2010

「学歴差別」は日本独自の言葉

ひさしぶりのポストです。
最近、日本で「学歴差別」という言葉をひさしぶりに耳にしました。アメリカでは(僕は)聞いたことがない言葉です。別に、アメリカがすべて正しい、という気はさらさらないですが、なぜ聞いたことがないか、をちょっと考えてみたいと思います。


1. なぜアメリカでは「学歴差別」という言葉が使われないか
それは、学歴が個人にとっても企業にとっても機能しているからです。アメリカでは学歴と職歴は密接に結びついています。(例:キャリアがピカピカでないとトップスクールには受からない、トップスクール出身者が多くの企業でマネジメントの要職についている。)もちろん、学歴がなくてもビジネスで活躍されている方は星の数ほどいます。僕が言いたいのは、学歴があることはこちらでは誇るべきことで、自他ともに学歴を評価するきわめてまともな土壌があるということです。学歴というと狭すぎる、「学校」が、ビジネスと社会の成長に大きく貢献している、という実感が、アメリカにはあります。


2. では、なぜ日本では「学歴」がアメリカほど機能しないのか
「日本の教育は詰め込み型だからビジネスで使えない」等、いろいろな話を聞きますが、僕は、大きく二つの理由があると思っています。

a. エリート教育に対する「嫌悪感」
日本には、本当の意味でのエリート教育は存在しないと思います。エリート教育の定義はいろいろありますが、ここでは「企業および社会をリードすることを前提とした教育」です。この間、日本の記事を読んでいてびっくりしたのですが、東大早慶の卒業生に限定した新卒採用を問題と考える人もいるようです。

別に、東大早慶に行っている学生がすべていいなんて言う気は(現状を見ていると)さらさらないですし、学歴をみないで採用することも企業として当然あっていいと思います。(すべてその企業の方針の問題です。その企業の将来に責任を持たない第3者がごちゃごちゃ言う問題じゃない。)が、逆に問いたいのは、「なんのために学校が存在するのか」ということです。たとえば経営系のコースをもつ難関大学を出ることが、社会をリードする人間を作ることに直結しないとみなされることは、非常に大きな問題ではないのか?僕からすれば学校のカリキュラムや学生の選抜制度を批判するべきであって、学歴と職歴を結びつけることを批判するのは、社会としておかしい。学校がキャリアパスとして機能しないのは、社会的な問題だと思います。この背景に、個人的には「エリート教育」というものに対して日本はアレルギーがあるように感じています。日本はこのアレルギーを廃し、学校での学びが職歴につながるような教育が行われるようにならなければいけない。

b. 日本に閉じた教育
あと、アメリカで学んで思うのは、アメリカの教育現場の方が、学生にとっては、ある一面において競争が厳しい。何を言いたいかというと、アメリカは、(特にトップスクールほど)留学生を受け入れているからです。そして、その留学生が授業の質の向上に大きく貢献している。たとえばHBSのベイカースカラーは、留学生の全体に対する割合33%を大きく超えて、留学生が多数取っています。(僕のクラスの場合、6人のうち3人は留学生。)留学生によって、アメリカのエリート教育はその厳しさと質の高さを実現している一面が明らかにあります。

翻って、日本は、アメリカほど留学生を受け入れているわけではない。職場が国際化を唱えているのに、学校が国際化されなければ、職歴につながるような教育になりにくいのも仕方ない面があると思います。日本の大学、そして大学院は、その質を上げるためにも、もっと留学生を受け入れて、その質の向上を図るべきと考えます。

1 件のコメント:

職務経歴書の書き方の見本 さんのコメント...

とても魅力的な記事でした。
また遊びにきます。
ありがとうございます。