6/28/2010

「男は女で決まります」

「いつも男の子に言っている言葉があります。『男は女で決まります』。」

昨日、ランチのときに、シリコンバレーの大先輩に言われた言葉です。どういう意味かというと、どれだけのリスクを人生でとれるかは、一緒にいるパートナーによるということ。パートナーが「そんなリスクはとれない」と言えば、そこでその男の人生は決まってしまうということ。

これは、本当にそのとおりだと思う。そして、あまりに多くの男がそれに対して無自覚過ぎる、とも。


5月ごろだったか、ビジネススクールを卒業して、シリコンバレーで就職したい、という方(男)にいろいろとアドバイスをした。彼は実際にUSに残り、がんばって面接を受けてみたのだが、最近日本での就職を選択したということだ。いつも言うが、アメリカで就職しようが、日本で就職しようが、本人の自由だし、どちらがいいということはない。ハンバーガーが好きだろうが、おにぎりが好きだろうが、そんなこと他人にどうこう言われることじゃない。


ただ、彼からのメールで一点、それは違うよ、と思うところが。
「僕も今田さんのように、独身だったならUSに残ったかもしれないのですが。」


もし、結婚していることが理由で日本に帰ることになったと思っているならば、それはキミが結婚する時点でそういう選択をすでにしていた、ということだよ。僕がキミならば、結婚する時点で「僕は将来USに行くかもしれないし、イスラエルに行くかもしれない。どこに行くかわからない。また、将来起業して無一文になるかもしれない。そこまでのリスクを含めて、僕といっしょになってくれる?」って、確認したはず。結婚しているかどうかは、本質的には問題じゃない。キミのライフプランニング、そしてパートナーとのコミュニケーションの問題なんだよ。


ま、だから僕は独身、ということかもしれないですね(笑)。

6/25/2010

国は選ぶもの、選ばれるもの

USに3年住んで、そして今年の春にヨーロッパで一月働いて思うようになったことに、学校、会社、そして国というのは似ている。


僕がHBSを選んだのは、その教育レベルの高さだけではなく、世界中から優秀な人材が集まり、日々ディスカッションを戦わせる場となっていることが理由として挙げられる。また、現在の会社で働いているのは、この会社が、US、ヨーロッパ、そしてラテンアメリカというという多様なマーケットを相手に、多様な人材が集まって働く場となっているからだ。二つに共通するのは、多様性が生み出すダイナミックな成長だ。


HBSは、積極的に多様な国から優秀な人間を集め、彼らと一緒に学べることが大きな意味をもっている。学校はクラスの30%以上を必ずインターナショナルにし、クラスの中に擬似的な「世界」を作ろうと努力している。世界のさまざまな国で活躍してきた友人とディスカッションする中で、いかに自分が自分でものの見方を閉ざしていたか、自分が見ていなかった可能性がどれだけあるかを痛感した。

今の職場には、「~系アメリカ人」という人たちがたくさんいる。(おそらく過半数を占めるのではないだろうか。)彼ら(とその親の世代)は、この国に魅力を感じ、この国を選んで住んでいる。これは、アメリカが優秀な人材を積極的に受け入れる施策を実施した結果ともいえる。

ベルリンオフィスで働いたときも、職場にはフランス人、イギリス人、スペイン人、トルコ人、イタリア人、多様な人材が集まっていた。様々な人材が集まる組織でのディスカッションは、発想が豊かで、その輪にいるだけで強い刺激をうけた。こういう職場で自分も一インターナショナルとして働くことが、自分の成長において欠くべからざるものだとの思いを強くした。


振り返って日本の人材環境を考えると、それが非常に小さく均質なものであること、そしてその危険性がみえてくる。別にこれはアメリカやヨーロッパとの比較だけの話ではない。

たとえば中国と比較したときに、人材環境においては人口それ自体が大きな意味をもつ。母数が大きければ大きいほど、優秀な人間の数も増えるのは単純な算数の問題である。

母数が小さければ小さいなりの戦い方もある。シンガポールがいい例だ。日本は2007年に一人当たりGDPでシンガポールに抜かれてしまった。(もちろん尺度に異論がある人はいるだろうが)これには多分にシンガポールの積極的な移民政策がもたらした、世界中からの優秀な人材の流入が影響していると思う。均質であることは、それ自体がリスクになりうる。


日本の人と話していて、「日本人は日本に帰って貢献するべきではないか」という話がでてくることがある。しかし、「いかにして優秀な人材を海外から獲得するか」という議論は(自分からもちかけたとき以外)ほとんど聞いたことがない。日本を支えるのが、別に土着の人間でなければならない理由はない。高齢化による「量」的な人材不足がしばしば話題に上るが、均質という「質」的な不足の方がむしろ問題だと僕は考える。

積極的に労働ビザを発行し、特に優秀な人材に関しては永住ビザを発行して、日本にひきとめるようにしなければ、日本の再生はないだろう。優秀な人材に関しては、アメリカに限らず、シンガポールのように、さまざまな国が積極的に獲得に動いている。生活・労働環境として魅力ある場にならなければ、日本の人材不足はさらに深まるばかりだろう。


僕に限らず、世界には「自分にとってほしいものが得られる場」で働くことを最優先にしている人が数多くいる。土着の「日本人」とともに日本を作る、という考え方をせず、世界中の多様な人材の力を借りて国を豊かにしていく発想が、今の日本には必要だと思う。

6/19/2010

新卒でアメリカ企業という選択

僕は大学卒業後、最初の会社としてマイクロソフトを選択した。この選択が今の自分のコアに深い影響を与えている。とくに、以下の3つが、今の僕に大きな影響を与えている。


1. ハーバードMBAにつながるキャリアになったこと
以前書いたように僕は大学卒業時にMBAをとることを計画した。ビジネススクール受験においては、前職で何をしたかということが必ず最初に問われる。最終的には仕事の内容がものをいうので、回答は人の数だけある。なので間違ってもこれが唯一の方法とは思ってもらいたくないが、日本で築いたキャリアで受験する場合、メジャーなルートとしては、大きく二通り。

a. 世界のマーケットをリードする日本企業でキャリアを築く
 b. 世界のマーケットをリードする非日本企業で、日本マーケットのスペシャリストとしてキャリアを築く

ハーバードは、卒業後、世界に対して影響を与える可能性をもった人間を育てたいと思っている。入学にあたっても、その可能性の片鱗を見せる経験を積んできたかどうかをみている。その意味で、a, bというキャリアはそれを感じさせるものになりやすい。

僕は後述の2を期待して、アメリカ企業の日本法人で働くことが自分には向いていると考え、bを選んだ。実際にこのキャリアが僕のハーバード入学(、そして今のキャリア)を強く支えてくれた。


2. 20代で、特定技術のマーケット開拓をリードする経験を積めたこと
一般論として、アメリカの企業では、特定のロールの専門家としてキャリアを築いていき、早い段階から特定の分野に対して責任ある仕事をすることを求められる。若い段階でセールスやマーケティングについて密度の濃い経験を積みたいと思い、僕はマイクロソフトを選択した。特に入社4年目で移ったOSの法人向けテクニカルマーケティング・セールス部隊で、僕のセールス、マーケティングのDNAは作られた。

アメリカ企業の日本法人の面白いところは、アメリカであればひとつのプロダクトに対して複数人でマーケティングやセールスを行うところを、仕事に対して人的リソースが限られるために逆に一人で複数プロダクトを担当できるところだ。

僕の場合、部に移って間もないころ「本社が仮想化製品、あの○○の対抗製品を買収した。来年内製化して出荷するそうなんだが、おまえ、担当してみるか?」とマネージャに言われた。直感的に、これはこれまでのOSビジネスを変えると思い、「ぜひやらせてください」と手を上げた。結局そこから3年、「仮想化」といわれる分野のマーケット開拓に携わった。法人向けソフトウェア分野に関係しない人にはマニアックな話で恐縮だが、2004年末の時点では「仮想化」という言葉自体を市場に知ってもらわねばならない状況だった。それが、今では出荷されるサーバーの5台に1台はこの機能を使用すると言われるまでになった。

担当した当初は、買収された製品のコードがあるだけだった。まずはUSからもらったコードをインストールしてテストし、よくわからないのでシアトルに出張してディベロッパーに直接話を聞く。USにもらったセールスアイデアを「うーん、日本のお客様やパートナー様にはどうコミュニケーションするべきか」と悩みながら日本向けに作り直す。ハードウェアメーカー、販社の方々からフィードバックをいただきながら、日本で売れるプランにさらに直す。文字通り手探りでマーケティング、セールスを行った。そして最初のお客様と二人三脚でモデルケースを作ったり、業界でパートナーといっしょにセミナーをいくつも企画して製品を紹介したり、雑誌やネットに自分の名前入りで紹介記事を出してもらったりhttp://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20060921/248678/、やることすべてが目新しく、本当に楽しかった。

仮想化という技術自体は昔からあったのだが、それまでは特定分野で使われる技術で、一般的には今ほどは使われていなかった。マイクロソフトという立場からその技術をOSと統合し、コモディティ化して市場に広めるという過程に関われたのは、僥倖というほかない。20代半ばの「小僧」に、こんな面白い仕事をさせてくれたマイクロソフトに、僕はほんっっっと~に感謝している。


3. 「日本」を知ることができたこと
これは、外資系の日本法人にいる方ならば誰しも感じたことがあると思うのだが、「日本法人」という立場は、よくも悪くも「日本経済の力」というものを痛感する場だ。日本市場からのフィードバックを本社に送る際、「日本のこの重要なお客様、パートナーからこういう要望をいただいている」、という伝え方をしばしばする。しかし、本社の人間と話をすると、「アメリカのA社からはxxの売上げがあがっている、ヨーロッパのパートナーのB社はxxも売ってくれている」という話が出てくる。こういったA社、B社との比較の中で、日本の市場をいかに売り込むかということが、外資系で働く上では必須のスキルだ。世界の他の市場の動きをにらみながら、いかに日本の価値を示すかということを1社目で経験したことで、外からの視点で日本を客観的に見れるようになった。そして「実際に他の国の人間が受け入れられる」日本の価値を、話せるようになったことは今の自分にとっても非常に大きい。


繰り返しになってしまうが、本当にマイクロソフトでは面白い仕事をさせていただきました。マイクロソフトの経験を生かし切ったと言える30代になるよう、さらに面白い仕事をしていきます。精進!

6/04/2010

「勝ち組」って誰に勝つの?

この間ふと思ったのだが、「勝ち組」とか「負け組」とか、日本でしか言わない気がする。前々から思っていたのだが、日本にいると、非常に抽象的なこと、たとえば「人生の幸せ」みたいなことについて、人と比べることを暗黙のうちに多くの人がやるような気がする。(「勝ち組」って、おそらく人生の、だよね?以降の話はこれを前提に進めます。)


当たり前なのだが、「勝ち」「負け」を比べるからには、同一の尺度で測らなければ意味がない。りんごはりんごと、オレンジとは比べてはいけない。でも、自分の人生って、人と比べられるのか?わかりやすいところでいえば、収入とかをさしているのだろうか?それとも学歴?まあなんでもいいのだけれど、ひとと比べる時点で、「僕はだれかさんと交換可能なその他大勢です」と認めているようなものじゃないのか?誰かと比べることのできる何かのために生きているとしたら、そんな歯車みたいな人生、始まった時点で絶望するべきじゃないのか?


僕が新入社員だったころ、ある先輩に、「同期と比べて、自分をどう思う?」という質問をされた。そのときは、「何をくらべるのですか?パフォーマンスですか?同じジョブロールでない同期とは比べようがないと思います。比べるとすれば、同じロールである先輩との方がいいかと思いますが。先輩と比べて、何が足りていないと思っていて、どういうキャッチアッププランを考えているかならば、話せます。」と言って、嫌な顔をされたことを覚えている(笑)。
この考えは僕が後輩の面倒を見るときにも必ず伝えていた。「同期と自分を比べるな。会社に入りたての、しょぼいひよっこに勝ったところでなんの意味もない。逆に自分の能力を落とすことにもなりかねない。そもそも、やってる仕事も違うものどうしが何をどう比べるんだ?君のライバルは同じ職種の僕であり、(同じ部署の)先輩である~さんだ。ここは外資だ。君のパフォーマンスに対して会社はお金を払う。いかにして僕や~さんに仕事で追いつき、追い越すかを常に考えろ。」


たとえば特定の職務の、特定のパフォーマンス(たとえば営業成績)等については、常にほかとベンチマークしながら数字をあげていくのは正しい。でも、抽象的な「仕事をする」といったこと自体は比べようがない。そもそも仕事をするのは、その仕事が好きだったり、もしくはその仕事の対価として得るお金で自分の夢をかなえるためで、自分がその仕事を好きなことや、自分の夢なんて、誰かと比べられるものじゃない。「比べられる」といっている時点で、仕事に対する思い入れや生活の中の自分の夢を失ってしまっていることを、自分から暴露しているようなものだ。


きっと、「勝ち組」「負け組」といった言葉がはやる背景には、仕事に対する思い入れ、生活の中での夢、といったものについて考える余裕がなく、思考を停止して他人と比べることでしか自分の居場所を見つけられないような社会になっている、ということだと思う。こういう言葉は、早くなくなればいいと思う。