8/31/2010

凡人が狙ってハーバードMBAに受かる方法(3.社会人3年目 - エッセイ編)

さて、いよいよ社会人3年目、(予定どおりいけば)いよいよ受験だ!(あなたが学生時代にこれを読んでいれば)あなたはこのときまでに、GPA、TOEFL、GMATのスコアを固め、他の人にはないユニークな経験(学生時代の起業orインターンシップ、グローバル企業でのリーダーシップ、NPOでのボランティアスタッフ, etc)をしているはずだ。ここから一年は、これらをフルに活用して、受験に入っていく。

3年目は、することが目白押しなので、エッセイ編とその他に分ける。ということでまずはエッセイ編。エッセイは、力を入れて作れば大逆転が狙える分野であり、かつアドミッションが最も重視するものだ。
ここはこれまでとはちょっと書き方を変えて、レジュメ、エッセイとは何かを考えた上で、その書き方を考えてみる。


A. レジュメとはなにか - それは、あなたの「成長プランとその達成の記録」
あなたが実際に「書いて」提出するものとしては、レジュメとエッセイがある。その二つを使って、何を示したいかといえば、「あなたが将来大きな成功を収めるであろう、ポテンシャルのある人材であり、ビジネススクールが投資するに足る人間であること」だ。

これを示すために、レジュメでは、「成功体験」そして「成長の歴史」を示す。言い換えると、あなたがすでに小さな成功体験を積み重ねてきており、MBAで学ぶことで大きな飛躍をすることが期待できることを示すということ。ここでよくある間違いは、今までの「成功体験」さえ書いていれば十分だと思うこと。成功体験があることは必須で、そこに加えて計画性がなければならない。一年目の仕事からステップアップして2年目の仕事をし、2年目の仕事からステップアップして3年目の仕事をしていること。そして、そこにMBAで学ぶことを加えるとさらに大きな成長が期待できることがわからなければならない。

そういったレジュメを書くには、最初からそれなりの計画性をもって仕事をしていなければならない。だからこそ、一年目にレジュメを作り、「これから何を書くか(どんな仕事をするか)」を考えたわけである。一貫性をもってキャリアを作ってきたかどうかはレジュメをみればわかる。早い段階でレジュメを作り、何を書くかについて2年間頭を悩ましていれば、(言い方は悪いが、仮に経験が人並みであろうとも)いいレジュメになっているはずだ。



B. エッセイとはなにか - それは、あなたの「個性とビジョンを示すもの」
では、エッセイとは何か。一言で言えば、エッセイとは、レジュメにかけないことを書くものだ。では、「あなたが将来大きな成功を収めるであろう、ポテンシャルのある人材であり、ビジネススクールが投資するに足る人間であること」を判断するために、レジュメ以外にアドミッションが知りたいことは何か。それは「あなたがどういうプランをもっており、どういうことを考えて仕事をしてきたか」ということだ。

繰り返しになるが、あなたが「将来」成功するかどうかが、アドミッションにとってはもっとも重要であり、それの核になるのがあなたの人生に対する考え方だ。レジュメに現れるあなたの「過去の」成功体験はあくまで「将来の可能性」をはかるための、あなたの考え方の発露としてとらえられている。どれだけ過去の成功体験が華々しくとも、核となる考え方がつまらなければ、将来の成功はたいして見込めない。逆に言えば、エッセイに書かれた考え方が面白く深ければ、(たとえ過去の成功体験がそこまで大きなものでなくとも)ビジネススクールの学び次第で大きく化ける可能性が出てくる。この理由で、エッセイはアプリケーションにおいて最も重要なものであり、かつ逆転の余地をもっとも大きく残すものだ。

エッセイでよくある間違いが、単純に成功体験だけを書き連ねることだ。成功体験ならば、レジュメだけでいいはず。アドミッションが知りたいのは、あなたがその成功体験(や失敗体験)の裏側で、何を考えてきたかだ。経験がそれほど特別なものでなかったとしても、それによって示されるあなたの考え次第で、そのエッセイはいくらでも輝く。それぞれのエッセイにおいて、いかにユニークでその人にしかない考えを示すことができるかを問われていることを、深く頭に刻んでほしい。


C. エッセイをどう構成するか - 競合を考える
では、考え方を示すものとして、エッセイをどういう風に構成するか。学校によって課題数はことなるが、3から8個のエッセイを各学校に対してあなたは書くことになる。そのエッセイにどういう内容を書けばいいのか。

エッセイを読むときにアドミッションが考えていることは、「(ほかの学生ではなく)あなたがその学校のクラスに必要かどうか」である。ビジネススクールでは、学校の中に、世界の縮図を作りたいと思っている。たとえばクラスの1/3はインターナショナルにすることで、生徒間でたとえば中国、インドといったマーケットやその国発のグローバル企業の考え方をお互いに学びあう。インダストリーにしても同様で、クラスの中に金融、IT、流通、バイオ、様々な業界のリーディング企業出身者が集うように、クラスを構成する。

あなたのエッセイをアドミッションが読んだときに、彼・彼女が「このアプリカントは他の学生の学びに(ほかのアプリカントよりも)貢献できる」と思わなければならない。よくある間違いが、「僕は有名企業XXで△△なプロジェクトをしました」ということで十分だと考えること。有名企業出身、その会社で若手有力株であることは、トップスクールだと当たり前。たとえばMicrosoftで若手有力株というだけでは、不十分。IT業界だけでも、Google、IBM、HP、Cisco、有名な会社はたくさんある。それらからきた受験生と比べて、あなたをとるだけの意味を示さなければいけない。国籍もそうだ。もともと、国際経済における日本の重要度は次第に下がってきている中で、日本人を取ることの意味も昔と比べると小さくなってきている。たとえ仮にアドミッションが「日本マーケットについて話せる学生がクラスにひとりくらいほしいな。」と思ったとしても、日本人を取るとは限らない。場合によっては、「日本で働いたことのある」アメリカ人もしくは他のインターナショナルをとるケースもありうる。彼をとると、一人で「日本のマーケット経験+アメリカもしくは他のマーケット経験」を他の生徒に共有してくれるからだ。(実際に、僕はそういう日本を代表できる経験をもったインターナショナルにHarvardで会った。)

こういう厳しい競合状況の中で、あなたは「自分をとることは、ほかの学生をとる場合よりも明らかに意味がある」ということを示さなければならない。


D. エッセイ全体でどうまとめるか - 3つのペルソナ
僕は、上記のことを考えたときに「3つのペルソナを用意しよう」と考えた。ペルソナとは英語では仮面のことだが、パーソナリティの語源でもある。心理学のとある考え方のひとつに、「パーソナリティとは、ペルソナの集合体である」というものがある。エッセイライティングにおけるペルソナとは、あなたの考え方と、それを表現するエピソードだ。

MBA受験において、エッセイでは自分のビジネスや社会での経験をもとにして、自分の考え方を示す。エッセイひとつひとつでは、よほどの経験もしくはすぐれた考え方でなければ差は生まれない。僕のアプローチは、「ひとつひとつのエッセイで勝負するのではなく、エッセイの組み合わせであるアプリケーションを多様なエピソードの集合体として構成することで、全体としてユニークな個性を示す」というものだった。

人によっては企業経験のみをベースにエッセイに書く。それだと、最初の仕事、そして次の仕事という形で、ペルソナとしてのバリエーションは多くの場合2つくらいになる。(そしてその二つは似通ったものになりがちで、場合によってはアドミッションからすると1枚にしか見えていないこともある。)ペルソナの枚数が1,2枚と少ないと、個人として平板に見えがちな上に、同じ業界の人間とエピソードが似たようになる危険があり、差別化しにくい。そこで僕は、Microsoftでの二つの仕事(Web開発におけるピープルマネジメントの経験、仮想化のプロダクトマネージャとしてIT業界におけるリーダーシップ)で2枚のペルソナ、そして社会を企業の外からみた体験としてNPOでのリーダシップで1枚のペルソナ、そして場合によって社会に対する心理学的な考察として大学時代の心理学について4枚目のペルソナを揃え、この3, 4枚のペルソナをどの学校のアプリケーションにもすべて入れるようにして、立体的なパーソナリティを示すようにした。

前のエントリで述べたように、ビジネススクールは、企業活動だけではなく、社会全体に対して、広い視野をもってリーダーシップを取れる人物を探している。僕は、IT業界でのリーダーシップだけでなく、NPOでの経験を同級生と共有することで、他の学生の学びに貢献することを考えた。Microsoftでの経験についても、日本のIT業界の経験、US法人の視点それぞれの経験をもっていることを打ち出し(=1枚のペルソナでも実は2枚あるように見せて)、自分のユニークネスを示すようにした。ひとつひとつのペルソナ(エピソードとそこに表れる考え方)が面白いことは当然で、それだけではなかなか差がつかない。しかしエッセイの集合体であるアプリケーションパッケージ全体では、様々なペルソナを用いて多面的に自分を見せることでいくらでもユニークさを打ち出せる。たとえば以前のエントリで述べた「学生時代の起業or Internship」「NPOへの参加」といったものがあると、自分の異なる側面を示すエピソードが増え、アプリケーションがよりユニークなものになる、ということである。

*ちなみに、以前のエントリを読んでいただいている方はわかると思うが、「学生時代の起業or Internship」「NPOへの参加」は、あればいいものだが、マストの条件ではない。(日本人アプリカントだとない人の方が圧倒的に多い。)僕も「学生時代の起業」はやっていない。「やっていればよかった」です(笑)。ここで言いたいのは、「あなたはアプリケーション全体を複数のペルソナから構成しているか?」ということだ。一つのエッセイだけでは見えにくい「自分の姿」そのものを、様々なエッセイ・エピソード(=ペルソナ)を用いて全体として立体的に構成することができれば、アドミッションがあなたをクラスに必要不可欠なユニークな存在と見る可能性は大いに高まる。


E. ひとつひとつのエッセイをどこまでユニークにするか - 200題のエッセイを読む
全体として3枚以上のペルソナを用意し、各エッセイ課題に対してどのペルソナをベースに何を書くかを決めたら、あとは書き方の問題だ。実際に書き始める前にぜひやっていただきたいのは、実際の合格エッセイを読むことだ。

これには二つ理由がある。
1. 合格するエッセイは、書き方というレベルではかなり自由度が高いことを知る
2. 一方で、各学校・各設問ごとに、好まれるエッセイの傾向の存在を知る

たまに受験生のエッセイを読むと、非常に堅いものが多い。いや、堅いなら堅いでいいのだが、その人でなければ書けない、ユニークなエッセイというものにはなかなか出会えない。考えてほしい。あなたがHarvardのアドミッションだとすると、よまなければいけないのは合格者のエッセイだけではない。900人の枠に対して、合格率は10数パーセント。アドミッションは個人でも千を優に超えるアプリカントのエッセイを読まなければならないのだ。ありきたりなものや、読んでそもそも意味がよくわからないものは、それだけで合格率が下がるはずだ。。

では実際にうかるエッセイはほんとに面白いのか?
エッセイを書き始める前に、僕は下記の本&Webで合格者のエッセイを200本ほど読んだ。読むと、いかに合格者のエッセイはユニークでバラエティに富むかがわかる。

また、受験終盤には学校ごとに改めて読み直してみると、学校の設問ごとに、合格するエッセイのポイントが見えてくる。ポイントをつかみつつ、いかにユニークなエッセイを書くかにフォーカスすることができれば、あなたのエッセイはおのずと面白いものなるかと思う。

僕が受験したときは、Harvardの最初の設問は、「大学時代になにを学んだか」というものだった。ここで、僕はどうしても以前に書いた「ヒトとネズミ」の話がしたくなり、
最初の一文を「僕は大学で、ヒトとネズミが違うことを学んだ。」で始めた。

結果、面接でアドミッションにあったとき、全部終わって席を立つ最後の最後で「あなたのエッセイは理解するのが難しかったわよ」とにっこり笑って言われた。完全に不意を突かれて「さ、さんきゅー」ときわめて間の抜けた返しをしてしまい、(これってよかったってことなのか?!)とその後30分ほど帰りの車の中で悩んだのを今でも覚えている(笑)。

エッセイは、考えれば考えるほどユニークないいものがかける。エッセイはその学校への、あなたのラブレターだ。あなたにしか書けないラブレターを書いてほしいと思う。

8/28/2010

凡人が狙ってハーバードMBAに受かる方法(2.社会人2年目)

「凡人が狙って~」もいよいよ(ってまだ学生編と社会人一年目しか書いていないが)社会人2年目です。一年目にもらったコメントにも書いているが、ここで書いていることは一例、かつ理想論(僕は実際には社会人6年目に受験している)ので、あくまで「こういう考え方、方法論もある」というふうに考えてください。


さてさて、2年目は地ならしです。

A. GMATで700点以上をとる
非常にありきたりなのだが、TOEFLの次はGMAT。TOEFLが早く仕上がれば、すぐに社会人一年目からGMAT対策を始めてください。逆にTOEFLが仕上がっていない場合は、「いつ合格したいか」と「仕事の忙しさ」の兼ね合いでGMAT対策のスタートを決めることになる。ただ、3年目で受験する予定で行くならば、遅くとも社会人2年目の頭にはGMAT対策をはじめることが望ましい。

受験生と話をすると、よく「本当に700点ないとだめですか」という質問を受ける。実際には、600点台で合格している人もいます。ただし、そういう人にはほぼ確実に理由がある。有名な会社からの社費留学であったり(ビジネススクールにおいて、「卒業後の進路」はその学校の業績ともいうべきもので、社費留学だと入学時点ですでにその業績ができることになる)、ものすごいキャリアを持った人だったり。で、そういうのにあてはまるのであれば、600点台でもいいかもしれない。が、キャリアやエッセイで逆転できるのは相当にまれなケースです。(大多数は、「点数も出してキャリアもエッセイもピカピカ」なわけです。)点数が低くてもいける確信がないのであれば、(トップスクールを狙うのであれば)たとえ受験を一年延ばしてでもGMATの点数はしっかり700点にはのせた方がいい。逆に、700点を越してしまえば、GMATは足きりなのでそれ以上時間を費やす必要はない。(僕も710点で止めている。)

*予備校に相談した場合、見切り発車でエッセイに移ることを薦めるケースもあると思う。実際、前のエントリで述べたようにあなたが年を取ること自体はネガティブに働くと思っていい。しかし、足きりにかかることを考えるのであれば、700点をとって足きりをクリアし、かつ一年かけて仕事面でより大きなアチーブメントを重ねることにも意味がある。このバランスは慎重に考える必要がある。

GMATは、TOEFL同様に努力がほぼ100%結果を決める。よく「GMATのスコアは運だ」ということをいう人がいるが、個人的にはあのテストはかなり正確にその人の学力(というかGMATというゲームの理解度)を反映すると思っている。僕自身、一年ちょっと時間を費やして勉強したが、「今の実力だとこのくらいの点数かな」と思った点数がほぼ10点ほどの誤差でそのまま毎回のテストで出ていた。点数が出ないのは、頭のよしあしというよりは単純に費やした時間が必要量にまったく足りていないケースが多い。あなたがもともと英語圏で勉強したことがないのであれば、自分がアメリカ人で(学部留学もせず)いきなり日本の大学院を日本語で受験するのを想像してみてほしい。相当の努力が必要なことがわかるかと思う。

GMAT対策をどう行うかは、TOEFL同様、個人の好み。Official Guideだけで700点出す人もいれば、いろいろな予備校に通って点数を上げる人もいる。僕は後者で、「時間をお金で買う」感覚だった。多くの方は最初は点数がでなくてへこむ(僕もへこんだ(笑))が、GMATはやればやった分だけ確実に点数があがる。ここでくじけずに、がんばってください。


B.キャリアでエッセイにかけるネタをそろそろ作っていく
一年目のレジュメ作りで、いかに自分がキャリアとして蓄積が少ないかを実感していれば、2年目の半ばになれば、意識的に仕事に取り組み、少しづつレジュメに書けるネタ、エッセイにかけるネタができてくるはず。(もちろん2年目も、随時レジュメはアップデートしていってください。)

もちろん、社内的に脚光を浴びる仕事をすることも大切だが、レジュメ、エッセイで書くべき仕事はそれだけではない。
実際にレジュメを書いているとわかるのだが、会社では隣の同僚がやりたがらないような仕事でも、意味のある仕事が数多くある。部署をまたいだタスクフォースであったり、他の部署からの頼まれ仕事であったり。

そういった中に「隠れた重要な仕事」をみつけるコツは二つある。ひとつは、仕事に対して、自分のレベル、自分の上司のレベルだけでなく、部門長のレベル、社長のレベル、さらには本社のレベルにまで上がって、その意味を考えること。それによってその仕事がもつ意味がしばしば大きく変わってくる。(そして、マネジメントの視点で考えたことはそのままエッセイにかける!)そしてあなたの取り組み方自体も、あなたの意識の仕方によって変わってくる。

もうひとつのコツは、単純だが、「少し余分に仕事をする」こと。隣の人、他の部署の仕事を手伝うことで、見えていなかった会社全体のビジネスが見えるようになり、社内のネットワークも広がります。エッセイのネタさがしだと思って(笑)、積極的にいろいろな仕事に手を出してみてください。


C. NPOに参加しリーダーシップを発揮する
これは日本の受験生はあまりやっていないが、アメリカや日本以外の国からの受験生はけっこうな割合の人がさまざまなNPO活動に参加し、その経験をもってビジネススクールに来る。ぜひ、受験の2年ほど前から企業以外の別のコミュニティに所属して、自分のものの見方を鍛えてください。僕は、これは単純にMBA受験のためではなく、あなたの人生のために強く薦めます。

ビジネススクールは、ビジネスリーダーというのは企業活動だけではなく、社会そのものに対して鋭い視点をもち、社会を変えていける人と考えている。仕事だけでなく、NPOに積極的に参加して、社会の様々な問題に取り組んできた実績のある人を高く評価する。

NPOに参加すると、企業にいるとなかなか見えてこない社会問題に触れ、その問題に高い理想をもって取り組む(企業にいるとなかなか会えない)人々に会うことができます。その中にボランティアスタッフとして参加することで、あなた自身が見えてなかったものが見えるようになります。僕も、受験の一年前(もっと早くに参加すべきであったと後で後悔しました)からとあるNPOにたまたま参加する機会があり、そこで高い志をもったスタッフの方、ボランティアの方にお会いして’、自分のものの見方を大きく変えられる経験をした。自分の人生を豊かにするためにも、NPOに参加することを強くお勧めします。

では、どういったNPO活動に参加するか?(NPO活動それ自体に意味があるのだが、ビジネスリーダーの卵という観点で言えば)「社会を考える上で、企業活動だけではカバーできない分野に、ビジネスの観点を生かしてリーダーシップを発揮する」ことに意味がある。

ヒントをだそう。あなたは、受験する学校のページをちゃんと「活用するために」読んでいるか?各学校、「これらの研究に力を入れています」とアピールしている部分がある。学校名とResearch, Initiative, Centerとかでひっぱればいい。たとえばHBS, Stanford GSBならこんなかんじ。

ぶっちゃけ、ふたつとも似ている。言い換えれば、二つの学校が社会においてそれらの問題に取り組むことはビジネスリーダーの責務と考えているということだろう。そして、それぞれの分野で活躍している有名なNPO団体がたくさんある(かつ、企業サイドで経験をつむことが難しいものが多い)。ここまで説明すればわかると思うが、そういう分野でNPOのボランティアスタッフとして経験をつむことが、企業の枠を超えて自分を成長させるいいチャンスになるということだ。

日本は、アメリカ等と比べると、まだまだNPO活動に参加する人が少ないと言われている。NPOサイドも、社会経験をもち、やる気のあるボランティアスタッフを探しているところが数多くある。あなたが職場で培った経験をもってNPOで活動することで、日本の社会に(ビジネススクールに行く前から)仕事以外の面で影響を与えることができます。ぜひ、ビジネススクールに行く前から、社会に影響を与える活動に参加し、リーダーシップを発揮してみてください。


D. 奨学金情報を集め始める
ここでいう奨学金とは、学外の奨学金。学内(たとえば僕ならハーバード)の奨学金は、合格した後に申請できるので、受かったあとに考えるのでよい。
学外の奨学金は「必須ではないが取ったほうがよい」ものです。学外の奨学金がなくても、トップスクールでは入学後に学内の奨学金として学校から給付、もしくは貸与で十分な奨学金がもらえ、(在学中は)お金の心配をする必要はない。しかし、学外の奨学金をもっていることはアプリケーションにおいて優秀な人材であることの証明になる。また、学外の奨学金にアプライすることで、その財団の方々(こちらも、高い志をもって社会のために動かれている方々)と出会う機会ができる。ないといけないわけではないのですが、とれるのであればとってください。

MBA受験でアプライできるもので有名なものはロータリー、フルブライトなどがあります。ロータリーは地区によるが早いところは年明けの3月くらいから募集が始まった記憶がある(詳細は各自でチェックしてください)ので、前年のうちから情報は集めておくことをお勧めします。

8/25/2010

僕が受かったのはスタバの人たちのおかげ。

どうでもよい話題なのだが、僕にとってMBA受験の勉強部屋は、とある駅中にあるスタバだった。僕は昔から人気のないところでは勉強できないたちで、さわがしいところほど集中力があがる。図書館とかで勉強しようとすると、「僕は勉強してます」みたいな空気がむずがゆく、自分がカッコ悪く思えて、とても集中できない。なので、僕は今も昔も何か集中して作業をするときは、基本的に喫茶店にいく。


日本を離れて3年経つので今どうなのかわからないが、昔は日本の喫茶店の多くは席について一時間も経つと、席を立つよう店員に追い立てられた。(ちなみに、アメリカではまずそんなことはない。)最初のころはあちこちの喫茶店をめぐってはいやな思いをして、ほかに移る、ということを繰り返していた。そんな中、見つけたのが前述のスタバだった。


ここは、店がすいている限りは客に干渉しないところで、かつほどよく人がいて、自分にとってはとても居心地がよかった。いつも座っていた奥の席はちょうど目の前に改札があり、疲れるとよくその雑踏をぼんやり眺めて疲れをとった。そして、この店は夜11時まであいていることもありがたかった。GMATの勉強の佳境だった社会人5年目-6年目は、仕事も非常に忙しく、会社を出られるのはどうしても夜9時ごろ。僕はいつも会社帰り、夜10時前にここに立ち寄っては店がしまる11時まで1時間ちょっと勉強していた。

土日もこの店にきては、昼前から夕方まで勉強していた。さすがに、コーヒー一杯でずっといるのは悪い気がして、かつ自分はコーヒーがもともと好きだったこともあり、1時間半おきに一杯のペースでコーヒーを買っていた。だが、そうすると土日は昼食をはさんで日に3杯、4杯と飲むようになる。休みが続く年末年始などは飲みすぎて胃を悪くしてしまい、カフェミストに切り替えたのを覚えている(笑)。

あの頃店員だった人たちも、今はもうとうに別の仕事をされているのだと思う。このブログが読まれることはないだろうけれど、伝えられるなら、売上げに貢献しない変なおっさんをそっとしておいてくれてありがとう(笑)、と伝えたい。

8/23/2010

凡人が狙ってハーバードMBAに受かる方法(1.社会人1年目)

この間、たまたましゃぶしゃぶ屋(変な店ではないです、あしからず)で出会った某Nさんに「Takaさんいつ更新するんですか?」と言われたからではないですが、ひさしぶりに更新。いやはや、読者がいるのはありがたいことです。。


さて、MBA受験の計画において、ここからは自分が実際にやったことをベースにしたアドバイスです。プランとして4年目で合格することを念頭に、書いてます。(僕の場合は、けっこう回り道があり7年目になりましたが、後述のように今は3年でキャリアをまとめてMBA受験するくらいの気持ちで行くほうがいい。)

で、そんなMBA受験においては、就職~就職して一年目、が実は一番大事だったりします。


A. 「アドミッションが好むキャリアになる」会社に入る
なんかシビアなことを書いて、と言われそうだが、これが実はMBA受験において一番大事です。以前にも書いたが、トップスクールは、「将来その国、そして世界を動かせるビジネスリーダーの卵」をとろうと思ってます。なので、受験する時点で、すでにある程度その片鱗をみせなければならない。GMATの点数などより、キャリア自体の方がはるかに重要。

「わかりやすく」その片鱗を見せるには、
1. 世界経済をリードしている会社 で
2. MBA受験の時点(目標としては入社3年目)ですでにリーダーシップをみせる
のがよい。

日本国内の就職で1を満たすには、Toyota、Sonyといった、グローバルの市場で日本を代表する企業か、Google, Goldman Sachsといったグローバルな市場をリードする企業の日本支社で働くのがわかりやすい。(何度も「わかりやすい」と書くのは、これが多くの人が使う方法のひとつにすぎないから。ほかにも、日本のキャリア官僚として数年働く、いきなり会社を興して数年で売却までもっていく、など、いろいろアピールできる方法がある。ただ、凡人がやる就職活動において、とりやすい方法のひとつが上記。)

2つめの条件の背景は、ここがけっこう見落とされがちなのだが、ビジネススクールはビジネスリーダーをつくるための学校なので、リーダーシップを仕事で見せていない人は基本受かりません。さらに、MBA受験は、実は若ければ若いほど有利。学校ごとの平均年齢は、各自チェックしてほしいが、Harvardだとたしか最近では26, 27くらいが合格者の平均年齢になってきている。これは、「若い段階でMBAをとってもらって、MBAを武器にその後のキャリアをじっくり伸ばしてもらうほうが、本人にとってよい」と多くのビジネススクールが考えるようになってきているから。と、いうことで、入社3年目くらいにはそれなりに大きな仕事でリーダーシップをとることを求められる会社が望ましい、ということになる。(今どきないのかも知れないが)「うちの会社では最初の10年は先輩の机ふきだよ」なんてことを言われる会社だと、MBA受験は難しい。

で、この1と2を実現する上で考えられる選択肢のひとつが外資系企業で働く、というもの。外資系企業の多くは基本少ないリソースで仕事を回すので、若い段階で責任の重い仕事をさせてくれることが多い。僕はこの観点でMicrosoftを選び、実際にVirtualizationのマーケットの立ち上げを担当させてもらったり、日経コンピュータといった業界紙に写真入りで自分の記事を載せてもらうことができた。業界は自分が好きな業界でかまわない、自分が若い段階で、業界(のごく一部)をリードできるような会社に入るのがひとつの方法です。


B. がむしゃらに働く
まあ、言わずもがななのだが、いくらTOEFL, GMAT等のMBA受験の準備を進めても、キャリアがピカピカでなければトップスクール合格はおぼつかない。なので、初年度はとにかく職場で認めてもらえることに全力を尽くす。また、このときに、できれば生涯のメンターになってくれるようなボスを見つけておくことが、キャリア形成上非常に大切。


C. 英文レジュメを作る
入社して半年目、もしくは一年目くらいに、英文でレジュメを作ってみるとよい。(僕は受験一年前だったので、その反省から。)英文レジュメとは、単純に自分が何をやってきたか、だけでは書けない。(そういうレジュメをときどきみるが、そういうレジュメは役に立たない。)「どういうプランを現在もっており」「その中で何を達成してきたか」を書くのが英文レジュメ。

最初はフォーマット等もわからないと思う。ひとつのアドバイスとしては、有料のエッセイカウンセラーに相談してみること。彼らは、エッセイ作成の一環としてまず最初にレジュメ作りをサポートしてくれる。3年後に受験したいと思っており、3年後にベストなレジュメを作るうえで、(レジュメに載せられるような)仕事をどう積み重ねていけばいいか、最初の相談をこの時点で始める。就職して一年目なんて、通常はレジュメに書けることなんてほとんどない。そこから何をどうひねり出すか、そして何をここから2年で達成してレジュメに書くかを考え、苦しむことがこの時点での目的。

レジュメを意識すると、自分が今している仕事がキャリア上どういう意味を持つか、常に考えるようになる。ひとつの会社に長い間在籍すると、「その会社で評価される」仕事に目が行きがちだが、必ずしもそれが「社外、転職市場で」評価される仕事とは限らない。MBA受験においては、社内からも評価されプロモーションしており、かつ一方でそのキャリアが「社外でも」評価されるものでなくてはならない。レジュメ作成はこの「社外」の視点を与えてくれる。僕の場合、受験一年前にレジュメを作ってから、仕事のやり方が自分でもわかるくらい大きく変わり、たった一年で驚くほどレジュメ映えする仕事を積み重ねることができた記憶があります。



D. TOEFLをトップスクールの合格者平均点 にまでもっていく
MBA受験において、時間がかかるのがTOEFL, GMATのスコアメイク、そしてエッセイ作成。
僕はTOEFLの勉強を、確か社会人3年目の途中からスタートし、途中仕事が忙しくなったりして一度中断したりもしている。この反省から、これからのMBA受験者には、社会人になる段階でTOEFL受験を始めることを薦めます。

現実問題として、日本のMBA受験生の中には、就職して3, 4年目くらいに今やっている仕事に一区切りがつき「MBA受験でもしてみるか」となり受験を検討、そこから1年後に合格するつもりで勉強を始める、という人がけっこうな数でいます。が、TOEFL、GMATスコア、エッセイ作成は、それぞれ満足いくものをつくろうとすると、トータルで最低でも2年は見積もった方がよい。(中には、一年ですべてやる人もいるが、そういう人は一年でやっちゃってください。以下は凡人向けアドバイス)。昔、予備校の人に聞いた話だと、受験準備を始めた人の中で、最終的に満足のいくスコアをとって受験にたどり着ける人の数は1/3ほどだそうだ。多くは、すべてが中途半端になって受験もできないか、受験しても満足のいく学校に出願できなかったりする。

なので、かつての僕のように、海外経験がほとんどゼロの人は、それぞれに一年かけるつもりで、社会人一年目からTOEFLに取り組むことを薦めます。とにかくすぐに受験し、自分の実力がどの程度かを見定めるとよい。(TOEFLは僕のときは回数制限もなく、毎月受けられた。今もおそらく同じ?)一年でどこまで到達するかというと、「HarvardやStanfordの合格者平均=足切りライン プラスアルファ」が最終目標。

TOEFL CBTではトップスクールの足きりラインは満点の90%、270点と言われていた。そして合格者平均は当たり前なのだがいつも常に数点~10点ほど高かった。おそらくiBTでもたいした違いはないと思う。せっかく一年かけて勉強するのは、この「合格者平均」を狙うためだ。

あなたが海外で英語で仕事をしていれば、べつに足きりさえクリアすれば問題ないのだが、もしそうでないならば、TOEFLで高得点を狙ってほしい。アドミッションは日本人に通常「英語ができない」という先入観がある。だからこそ、逆に「英語が使えるかどうかのものさし」であるTOEFLにおいて、足きりより上の合格者平均の点数を出すことが、その疑念を払拭し、Positiveな印象を与えることにつながる。僕のときはリスニングで苦しみつつも、一年ほどかけて280/300(Listeningは28/30)に到達した。

TOEFLの勉強の仕方は、いろいろ情報が出まわっているかと思うので、それを参考にしてほしい。僕の場合はTOEFL全体については予備校に通い、Listeningに関してはPowerPrepの音声をそのままcreative Muvo(MP3 Player)にMP3にして落とし、会社の行き返りにシャドーイングして克服した。TOEFL、GMATの点数の良し悪しは最終的には帰国子女であるなしとはまったく関係ないものになる。受験勉強として時間をかければ絶対に合格点に到達できる。キャリアと違い、この部分は完全に自分の努力のみで解決できる、MBA受験の中で実は最も楽な部分なので、がんばってほしい。

8/12/2010

凡人が狙ってハーバードMBAに受かる方法(0.大学時代)

前にもどこかで書いたが、僕は新卒入社段階でMBA受験をプランして、(いろいろと試行錯誤の末)ハーバードに入学した。入学したから言うわけではないが、「これをやればおそらくうまくいくのでは」という仮説がある。以下、何回かにわけてそのプランを書いてみる。最終的には、社会人4年目にMBAに入学することを念頭においている。

最初は、大学時代に何をするか、という話。のっけから矛盾があるのだけれど、僕は大学時代はそこまで明確にMBA受験をプランしておらず、ふつーにのんびり勉強していた。なので、以下は「これをもっと意識的にやっておけばよかったかも」という話。(ということで、「0」番でスタートです。)


A. しっかり勉強する
ナンのため?いわゆるGPAのため、である。トップスクールの合格者では平均は余裕で3.5を超える。え、3.5がどれくらいすごいのかわからない?GPAの計算の仕方はちょっと調べればわかるので、調べてみてください。いわゆる日本で言われる「AB固め」というやつをやることになる。

最初からまじめなことを書いて、といわれそうだが、僕は個人的にも、大学時代は勉強するべきだと思う。自分が好きで選んだ専攻に大金を投じて、「大学はつまらなくて勉強しませんでした」という人がいたら、こちらでは「ええええ?!」という話になる。(要は計画性のないやつ、時間の使い方のわかっていないやつという厳しい評価が下る。)大学は、探せば面白い授業が山ほどある。(というか、だからあなたはその大学を選んだはずだ。)自分の場合、他学部聴講を含めて必要単位数を30%は超えて履修していた記憶がある。

また、大学の授業は思っている以上に仕事に役にたつ。好きな授業を掘り下げて勉強すれば、それがそのまま自分の強みになり、思わぬところで自分を助けてくれる。僕の場合、好きで心理学を専攻したが、そこで叩き込まれたのはPDCAの考え方。当たり前のようだが、2週に一回の実験レポートで厳密にロジックを通して書いていないと非常に厳しい点数をもらい、それがたまると落第する、という話があった。ここで、問題の捉え方、解決策の考え方の基礎をたたきこまれた。あと、統計学。統計学は、マーケティングの基本である。(MBAに行っても軽く勉強することになる。)大学時代にみっちり統計学の手ほどきを受けたことが自分にとって大きな財産になっている。


B. 会社をおこす(そして、つぶす)
これは僕もやらなかったもので、本当にやっておけばよかったものだ。学生時代が一番リスクがすくない。どういう失敗をしても、何の傷にもならない。
もちろん、これは「自分が将来会社経営をやってみたい」という人向けの話である。社会人になると、いわゆる「歯車」として特定の業務に特化することをまずは求められる。そのまえに、資金調達からマーケティング、セールスまで全体を見る経験をもっておくことは非常に大きなプラスになるはずだ。(つぶす)と書いたが、つぶすことをおそれるな、ということ。(もちろん成功させることができるならぜひそうするべきだ!)MBA受験では「失敗」から学ぶことが非常に高く評価される。というか、ここで失敗の経験を積んでおくことが、あなたが将来次の会社を興すときに、強い土台になってくれるはずだ。

会社経営が最終目標でないならば、自分が働きたい業界でインターンシップを複数することだ。目的は二つ。フルタイムで就職するときに「こんなはずではなかった」というギャップをなくすこと、そしてこの段階で自分のキャリアのメンター、アドバイザーになってくれる人を見つけることだ。


C. 英語を勉強する
これはありきたりなのだが、(MBA受験をパスできる程度の)英語力に到達するにも、ものすごい時間がかかる。学生のうちにここに到達しておくと、後がものすごく楽になるはず。目安としては、英語で映画をみて内容がとれるところまで到達しておけば、まず問題はないと思う。

8/08/2010

アメリカに来ることとは、自分がマイノリティであることを知るということ

あなたは、ゲイの友達はいるだろうか。レズビアンは?人種問題について友達とディスカッションしたことは?

アメリカにくると、様々なマイノリティが存在することを知る。ゲイやレズビアンも広義ではそうだし、日本人であることももちろんそうだ。そして、マイノリティの、というよりも個人のアイデンティティについて、深く考えることになる。

この国に来ると、多くの人は自分は何か、ということを深く考えずにはいられない。僕もそうだ。下手な英語で授業に参加していかにみんなに自分を認めてもらうか、ということが、こちらに来る前は不安だった。しかし、ボストンに行き、実際に授業が始まると、みんなが自分に払ってくれるリスペクトに驚かされ、涙がでるほど感動した。「TakaはInternationalで英語は第二言語だろ?おれたちはお前の意見を聞きたいんであって、綺麗な英語をききたいわけじゃない。第二言語でがんばってるお前を尊敬してるよ。」

マイノリティを尊重することは、僕に対してだけじゃない。アメリカは他民族の国であり、さまざまなマイノリティが混在する。その歴史を通して、いかにマイノリティ、というよりもそれぞれの個性を尊重し、ひとりひとりが生きやすい社会を作るかについて、深い蓄積がある。

授業が始まるとすぐ、各国の歴史について、それぞれの出身者が昼休みに勉強会を開いてくれ、みんながそれに同席してお互いについて学ぶ。国だけではない、ゲイ・レズビアンについても、クラブがあり、各クラスのゲイ・レズビアンの人間が同様に勉強会を開いてくれる。その勉強を通して、お互いについて深く学び、お互いの違い、というよりもそれぞれのユニークなパーソナリティこそがクラス、ひいては社会に対して貢献するものであることを知る。この勉強会によって、自分がいかにものを、そして他者を知らなかったを思い知らされた。そして、この勉強会を通して、自分のこころの奥底で、相手のパーソナリティに敬意をもって、いい友達関係を築いていくことのきっかけを得たような気がする。

お互いが自分のパーソナリティを、誇りをもって語れる社会。言葉にすると陳腐だが、その場に身を置かなければ、それがどれほどありがたいかはわからない。非アメリカ人というバックグラウンドで、不安を背負って入学した僕にとって、この違いを尊重するという文化が、何よりもありがたかった。

この間、とある日本人と話した際に、「あの人はゲイかもしれない」ということをネガティブなニュアンスをこめて言っているのを聞いて、ショックを受けた。ゲイだということがどうして問題なのだ。自分だって日本人じゃないか。いや、アメリカ人がよくて日本人が悪いということじゃない。それと同じで相手のパーソナリティの重要な一部であろうゲイであることを、どうしてそんな鈍感に否定できるんだ。

そのときわかったのは、自分はこの国に来て、自分がマイノリティであること、そしてマイノリティであることを尊重されることがどれだけ嬉しいことかを明確に知ったのだと思う。僕らは、それぞれが様々なパーソナリティをもって生きている。際立ったパーソナリティをもつことは、マイノリティになる可能性があり、さらにいえばだれもがマイノリティになる可能性をもつということだ。お互いの違いをポジティブに深く学び、大切にしていくような社会になったとき、人は幸せになれるのだと思う。

8/06/2010

他人を気にしているうちは、幸せにはなれない

さっきまで、友人(というか、大先輩ですね(笑))と飲んでいて、合意したことがある。
幸せになる人は、自分がどうしたら幸せになれるかを知っている。


僕は「特別には」幸せなわけではない(そりゃ借金抱えて、母国以外で苦労するのを楽しんでいるのを、ものすごく「幸せ」というのは、はばかりがあります(笑))が、不幸ではないとは、言える。自分がしたいことをしてる範囲において、自分は間違いなく幸せだろう。今まで、一緒に飲んでいただいた先輩も、自分の道を選んで、その方にしかできない生き方をしていた。自分が何をやりたいかを知っているということは、幸せになる方法を知っているということだ。


では、不幸とはなにか。トートロジーのようだが、自分が幸せになるために、何をしたいかを知らない人ではないか。「自分がしたいことをしている」なんて、当たり前のようだが、実は結構な数の人がしていないのではないかと思う。


なぜ、そういう状況が存在するのか。ひとつに、「場」による価値観の強要があると思う。「~をしていることがすごい=幸せだ」といった価値観を強要される状況が、場所によってはある。(例:「 お金をもうけていることがすごい=幸せだ」「xx社で働いていることがすごい=幸せだ」「○○大学を卒業したことがすごい=幸せだ」)


例にあげたことのうち、それぞれ「すごい」までは別に共有してもいい。「すごい」という言葉も非常にあいまいなのだが、「極端」という意味であれば、相対的に定義できる(他者と共有できる)。ただし、「幸せ」は共有できない。「幸せ」というのは、基本として個人に帰属するもののはずだ。たとえばA君がどれだけカレーが好きでも、B君はカレーが嫌いだったら、カレーを食べて幸せにはなれない。そのカレーを「(一般的、相対的に)おいしいカレー」とはいえるかもしれない。でもB君に「おまえはおいしいカレーを食ったんだから幸せだ」というのはおかしい。(すみません、カレーに「幸せ」のすべてを代表させるのはおかしいという、至極まっとうな批判はこの際無視します。)幸せの定義は「絶対」だ。自分が幸せと思うか否か、それだけだ。


だが、場所によって、「幸せ」まで共有することを強要させる状況があると思う。自分で幸せを定義する、というのは、当たり前のようでいて、時に反社会的だからだ。「お前がやっていることは、おれ個人の「幸せ」にとっては何の意味もないよ」ということを、認めたくないようなコミュニティの場合、それは「反社会的」行為になる。


そんなコミュニティに生きる人に生まれる症状は、「幸せになれないことにがんばることを強要されて、ますます不幸せになる」「(自分が幸せになる方法を自覚していないので)どこまでいっても自分が幸せになった気がせず、常に不安になる」といったことだ。自分がどうすれば幸せになれるかを忘れてしまった人は(自分にとっての幸せではないにもかかわらず)誰かが勝手に決めた幸せを(幸せに到達できないがゆえに)どこまでも追っかけ続けるしかない。


そういう人々には、「不安」が絶えず付きまとう。「幸せ」が相対的なものである(しかも実は自分が本来望んでいることではないかもしれない)がゆえに、100%満足できる状況には永遠にたどり着けない。常にベンチマークを探して、「~よりは少し幸せなはずだ」「~よりも幸せというには~がたりない」と考えることを、永遠に繰り返し続けることになる。このために、不幸せな人の特徴として、常に他人の動向が気になる、というのがあると思う。


でも、よく考えてほしい。今、地球上には69億人もの人がいます。そのすべてと自分を比較しているうちに、あなたの人生は終わっちゃうよ。逆に、ほぼ「無数」といってもいい人々が世界にいる中で数人をピックアップして「~と比べて自分は~」とあなたが言うとしたら、その比較はきわめてコミカルだ(笑)。


そんなことをしなくても、あなたは幸せになれる。自分がやりたいことをわかって、それを(我侭といわれながら(笑))やりさえすれば、「自分がやりたいことをやってるんだから、幸せだわ」と思えるようになる。幸せになる方法は、隠されているわけじゃない、実はあなたはもう知っている。やるべきことはただひとつ。「自分がこれをしたら幸せになれる」ということを勇気をもって認めることだ。他人はどうでもいい。あなたにとってもっとも大切な人は、あなた自身だ。

8/03/2010

その違いは意味のある違いか

海外のビジネススクールに受かると、ときに「日本の企業文化(の独自性)について話せるようにしておいた方がいい」という話を聞くかもしれない。

間違っていない。ビジネススクールにおいて、Internationalは自国の経済や企業文化について他の学生の学びに貢献することが求められる。しかし、もっと大切なことがある。それは、自分の仕事のたな卸しだ。

ビジネススクールにおいて、他の学生から学ぶことが多いのは、各国の違いもさることながら、各企業、各業界の違いである。Goldman Sachsの企業文化、P&Gのマーケティングの考え方、Cisco Systemsのビジョン、McKinseyでの働き方、Toyotaの生産システム、といった、本で間接的にしか学べなかったことを、現場で実際に悪戦苦闘した人間に直接聞ける環境は、ビジネススクールにしかないものだ。2年間、各業界のリーディングカンパニーで働いてきた人間と気の置けない付き合いをすることでそれぞれの業界の「空気」について知り、何かあったときには卒業後もその友人を頼ることができるようになる。

日本から海外のビジネススクールに行った場合、大きく「日本」というバックグラウンドと、「自分のいた業界、企業」のバックグラウンドをもっていくことになる。クラスルームに入ったときに、どちらがより、他の学生の学びに貢献するかというと、僕は後者だと思う。もちろん、両方持ち込むべきなのだが、今のグローバライゼーションが進んだ時代においては、優れた企業文化はグローバルに通用する、もしくは将来通用するようになることが多い。Facebookによるソーシャルネットワークしかり、Toyotaの生産方式しかり。最近の例で言えば、中国の企業が日本や米国に進出し、顧客の支持を得ている。

自分のクラスでのバックグラウンドを生かした発言を振り返ってみても、9割がMicrosoftでの経験や、そこで考えたことについてで、日本の独自性についての発言は1割もなかったと思う。(卒業するときにはいかに自分はMicrosoftに育ててもらったかを実感した。)思うに、ビジネススクールに合格する学生は、それまでの経験を生かして、自国だけではなく、世界を動かす人材になることを求められている。大事なのは、自分の経験や考え方でユニバーサルに通用する部分はどこかを自覚するところにあると思う。

8/02/2010

なぜアマゾンが(アメリカで)すごいか

僕は、Amazon.comのヘビーユーザーである。本はもちろんのこと、下着からシェーバーから、食品以外の日用品はほとんどAmazonで買っている。当然Amazon Primeにも入ってる。なんでこんなにAmazonを使うのか、ちょっと考えてみた。


1. ほとんどのものが、Amazonで買った方が安い、かつほぼなんでもある
これは日本でもほとんど同じかな。なので説明省略。
ただし、一点違うのは、アメリカでは本はディスカウントできる。で、アマゾンで売られている本はたいてい店頭で買うよりも安い。ほしい本が必ず見つかってかつ安いのならば、使わない理由はない。


2. このアメリカにあって、品物がちゃんと二日で届く!
これは住んでみないとわからないと思うけど、アメリカの郵便はほんと信用できない(個人的経験なので、「そりゃ違う」という人もいると思いますが、あくまで「僕の」経験です)。いつ着くかはもちろん、そもそも着くこと自体を僕は100%は信用していない(確実に送りたいときはFedexかUPSを使う)。昔、ある重要書類を送ってもらったら、なんと3ヶ月後に着いたときには思わずUSPSになぐりこみに行こうかと思った経験あり(ちなみにしてませんから、たぶんわかってると思うけど)。

なので、アメリカでAmazon Primeに入って、どんなものでも二日で必ず物が届くことにはほんとに感動した。(←アメリカに来て、こういうサービスに対する僕の期待値はものっすごくさがってます。)


3. アメリカは郊外に住むと買い物に行くのがものっすごいめんどくさい。
僕は、今けっこう田舎に住んでいるのだが、こっちにきてほんと買い物にいかなくなった。ものっすごいめんどくさいのだ、日本とくらべて。日本にいたときは、たとえば新宿に行けば、徒歩圏内に何店舗もセンスのいい店が同じカテゴリーであった。2,3時間かけて回れば必ずほしいものが手に入った。こっちでは、店はぽつんぽつんとあるだけで、品揃えも東京には及ぶべくもない。(サンフランシスコとかに住めば、同じような状況にはなるんだろうけど。)なので、ちょっと何かほしくなれば、たいていのものはその品物があるかどうかわからない店舗にわざわざでかけて探すよりも、すぐAmazonで発注して二日待つ方が早いのである。


というわけで、アメリカにいると、Amazon様様になってしまう。今日もほしい本をAmazonで検索している僕である。