11/30/2010

僕らはもっと怒っていい

日本に帰ってきたときに驚いたのは、あれだけモバイルデバイスが好きといわれる日本人が、電車の中でKindleを出さないことだった。今ぱっと電車をみわたしても10人中4人が携帯を開き、3人がiPhoneをいじっているこの日本で、である。アメリカでは、今年に入って電子フォーマットの書籍の売上が紙媒体を抜いた。僕のアメリカ、ヨーロッパの友達はクリスマスプレゼントにKindleを買うといっているやつが結構いる。こんな世の中にあって、日本では、未だに日本語コンテンツをKindleでダウンロードできない。どの出版社もKindle用に本を売らないからだ。そりゃ、誰もKindle使わないよね、コンテンツがないとなれば。いくつかの出版社はかわりに独自フォーマットで電子書籍を試しにだしているらしい。

日本に帰って翌日に、Pocket Wifiを買いに行った。そこで、「skypeをよく使うので」とぽろっと店員に話をしたら、「あ、じゃあ選択肢は~と~しかないですね」という。え、なんで?聞いてみると、あらかじめ、いくつかの機種はPocket WifiをSkypeで使われないようにポートを閉じられているという。はぁ?

ものすごい頭にくるとともに、混乱させられた。そんなことが日本では許されるのか?ビジネススクールでよくあるケースに、恐竜化した大企業が、イノベーションの流れに乗れず、過去成功したプロダクトにしがみついて滅びていくというものがある。イノベーションが起こったとき、考えなければならないのは、「ユーザーにとって古いプロダクトと新しいプロダクト、どちらがよいか」だけだ。ユーザーにとって明らかにプラスになるイノベーションを取り込めない会社は、例外なく衰退する。まして、ユーザーのプラスになるプロダクトフィーチャーを制限するなんて、言語道断である。なんで、そんな企業のエゴが許されるんだ???

アメリカでは、App StoreでGoogle Voiceに関わるプロダクトが禁止されたときは、大ブーイングだった。企業が自分のエゴで人々の利便性を阻害することは、明らかに社会的な悪であるとみなす土壌がアメリカにはある。(そして、Appleはそれらの声に押されGoogle Voiceを先月受け入れた。)

翻って、日本に戻ると、まちがいなく大きなニーズがあるにも関わらず、企業のエゴで使えないプロダクト、サービスのなんと多いことか。Kindle向けに書籍を売らない、特定のPocket WifiでSkype通話はできない、「スマートフォン」と呼ばれているモバイルからSkypeを使って携帯電話に電話できない、etc, etc.. でも、だれも、そのことについて文句を言わない。

断言するが、上記であげたことは、どんなに閉ざされた国、日本であっても、いつかは開放される。便利なものを特定の企業の権益のために使えなくすることは、自由経済の世の中にあってはいつかは破綻をきたす。僕らは石器時代には戻れない。技術、サービスの向上は不可逆なのだ。

しかし、日本ではアメリカ人だったら怒り、すぐに是正される企業のあやまちが、是正されない。だれも声を上げない。ただ、恐竜の寿命を2年か3年延ばすために、人々はだまって恐竜のエゴを受けれ入れる。メディアも何も言わない。僕らはもっと怒っていい。

11/27/2010

「性格」なんてあるのか?

最近日本に帰ってきて気づいたのが、(最近会った)人はやたらと「性格」について話したがる。「~は社交的だ」「~は気難しい」「~は几帳面だ」等々。あと、僕が日本にいてよく言われるのが、「~な風にみえない」という話。(かつ、~の部分が、時と場所によって180度ひっくりかえることが多々ある。)


僕自身の見方、というよりも物事の捉え方を話すと、僕は元来、ヒトに変わらない性格なんて存在しないと思っている。そもそも性格とは何か。定義は様々だが、「自分の行動を長期にわたって規制するひとつのルール」とここではしておく。「社交的」「几帳面」「行動派」等々、いろいろな要素についてヒト(特に日本人)は話したがるが、多くは自分自身で(そして周囲から言われて)「自分は~な人間だ」と思い込んでつくっているルールにすぎない。心理学では、性格というのは非常に流動的で状況に依存することを示す実験結果がいくつもある(ミルグラム実験など)。このことは、あなた自身でも実験できる。「留学」といったものや「就職(職場を変える)」といったものもひとつの学習実験だ。その場にあわせて人は変わる・適応する。動物として当たり前の行動なのだ。


なので、自分自身について、僕は性格というものを極力限定しないようにしている。基本的には、ルールはふたつ。1) そのとき、その場で達成したい自分にとってのゴール設定を確認し、それを達成するための最適な行動をとる 2) 周囲の人間の嗜好を分析し、自分のゴールを達成する上で周囲の協力を得られるように最適なふるまいをする。


上記を行う上で常に気をつけているのは、前の行動に引きずられないことだ。動物は、一度やった行動で問題がなければ基本的には同じ行動をするようにできている。しかし、場所が変われば最適解も変わる。常に意識して、時、場所の変化とともに「自分の性格」を真っ白に戻して、その場で自分がとるべき行動のルールの設定を常に変えるように、意識している。(なので、違う場であった人間には「性格が違う」といわれることがままある。)


ところで、なぜヒトは性格について話したがるのか?これは多分に自己肯定の問題が絡んでくる。ヒトは常に自己肯定したいという要求に突き動かされて生きている。自己肯定の形は様々だが、「自分の行動のルールは誰よりも優れている」と認められたい、というのもひとつの自己肯定の形と思われる。これを確認するために、周囲のヒトと自分、相手の性格を話す、という行動が生まれるのではないか。


ちなみに、自己肯定の裏返しが、自分の存在が周囲に受け入れられないことへの不安と言える。アメリカにいたときには、友人とお互いの性格について話すことはほとんどなかった。お互いの行動ルールが違うのは当然で、人生の行動様式は個々がそれぞれでもっているものだという認識があったと思う。振り返って日本で感じるのは、社会からの同調圧力が強く、自分の存在に対する不安を多くの人間が抱えているのではないか、ということだ。まあ、あくまで僕が接している範囲の人間の話ではあるが。

11/12/2010

ご飯を一緒に食べるといい女かどうかわかる?

注1: 今回のポストは、多分に自分の首を絞めることになると思われるが、あえて書いちゃいます。できればとくに僕の女性の友達の方はみないでください(笑)。

注2: お前がいい男なのかどうかは検証しないのかという至極まっとうな議論はこの際しません。みたくない現実というものが誰しもあるのだよ、ワトソン君。


僕が20代のころから、思っている&ルールにしているものに、「ご飯を一緒に食べてその後デートを続けるかどうか決める」というものがある。このルール、ときどき煩悩その他から破ったこともあるが、まちがいなく100%後でがっかりする結果が出ているので、基本守るようにしてます。以下、その理由をば。


1) ご飯を食べると性格がわかる
ご飯を食べると、その人の性格がそのまま出る。ポイントは二つ。

a. 好き嫌いがあるかどうか
経験上、ご飯の好き嫌いと、人の好き嫌いというのはかなりの相関がある。「ごめんなさい、私~は食べれなくて。」というのが、かなりの数ある人は、付き合いだした後、「(僕の友達の)~は受け付けない」といわれることがあったりする。逆に、何でも食べる人は、比較的人間の器が大きいタイプが多い。僕は30過ぎてからは幅広く友達をもつようにしているので、ここでNGを出されるとけっこう困ることがある。なので、好き嫌いなくなんでも食べる人はそれだけで好きになります(笑)。

b. 遠慮なく食べるかどうか
目の前に男がいると、「私、今日は食欲なくて」みたいな感じで食べない人はときどきいる。逆にこれまでの経験上、たとえば一緒に二人で3人前の食事を食べれる人は、性格もオープンで非常にいい関係が築けることが多い。別に3人前の食事を食べなくてもいいのだが、食べる姿をオープンにできる人は、Outgoingでかつ信頼していい人が多い。



2) 食事代の払いがその人間の自立度を示す
これは、僕の女性の好みの問題なので人に完全によるのだが、僕自身は、しっかり自分のキャリアを築いていて、お互いにお互いのキャリアについてアドバイスできる人がタイプ。で、これを見分ける方法が、(ナマナマしくて恐縮ですが)一緒に食事をいったときに見せる、支払いのときの態度。

僕はとりあえず、自分が払う様子を見せる。そのときの態度で、ほぼ100%その子と付き合うべきかどうかははっきり見える。

a) まったく無反応(のふりをしている)or 「ご馳走様~」と言う。
基本、結婚して家庭に入るとか、男の稼ぎで食べていければOKというタイプ。このタイプは「楽しかったよ!またね!」といってその後連絡しない方がよい。

b) 「いくら払えばいいかな?」と聞いてくる。
→この答えに対しては「え、ここはいいよ、じゃあ、次の店でコーヒーとかおごってくれる?」と重ねて聞くのが僕のパターン。
この質問に対するリアクションによってさらにここから2つに分かれます(笑)。

b-1) 「ありがとう。うんわかった。」というタイプ。
これは、こちらとしては態度は保留。女性として、一部の男がおごるのが好きなことを知っていてそれに乗っかっている場合もあれば、まあ順番におごりおごられで対等に関係を築こうとしているケースもある。この時点ではまだ判断できないので、しばらく様子をみる。

b-2) 「え、いいよいいよ、いくら?半分だすよ!」というタイプ。
これは、食事に限らずどんなことでも相手と対等にやっていこうと考えている証。このタイプは、なんとしても付き合ってもらえるようにがんばるべき。人生に対する考え方がしっかりしていて、本当にいいパートナーになれる人がほとんど。
ただし、「こんな男はタイプじゃないから借りはつくりたくない」というケースもごくまれにあるので、そのときは撃沈する(涙)。

念のために言えば、実際に割り勘にするかどうかというのはこの際どうでもよい。本人の独立心、経済観念と、友達づきあいに対する態度を見ることがこのルールの目的。

「おお~、この子かわいい」とか、若いときは煩悩に負けてこのルールを破ることもあったが、100%あとでがっかりしてきたので、僕はこのルールを信用している。

まあ、家庭的なタイプの人が好きな男性or 女の子におごればかっこいいと思われると思ってる男性(苦笑)は(特に日本は)腐るほどいるので、僕の見方はかなりマイナーなのだとは思います。あくまで僕の個人的な見方なので、そういうもんだと思って読んでくださいまし。