2/19/2011

「正しき酔っ払い」のあり方

前々から思っていることに、「プライドと酒は似ている」というのがある。質の悪いプライドに酔う者は醜いが、人からみて「かっこいい」と思わせるプライドというものも存在する。


僕は、安いプライドにこだわる人間が苦手だ。たとえば狭い社内であったり、狭い日本人コミュニティの中で自分の立ち居地を気にするような人間。はっきりいって、たかだか数十人、数百人、(いや数千万人程度も含めて)の中で、となりのたいして自分とかわらぬ凡庸な人間と優劣を競うことにどれだけの意味があるのかと思うことは、日本にいると特に多い。(日本人にとって海外にでることの意味のひとつは、海外の本当に優秀な人たちと出会い、日本がいかに狭いか、いかに凡庸な集団の中でさして意味のない優劣を気にしてきたかを痛感することだと思う。)そういう人間をみかけたときに思いだすのは、安いアルコールで酔いつぶれ、まわりにからむ酔っ払いの姿だ。


だが、それ以上に苦手なのが、「謙虚」であることを自分にも周囲にも強いるような人々だ。成功した人をねたみ、「あの人は傲慢だ」といううわさが周囲に流布するのも、日本ではみられる風景だ。そういう状況にたまたま足を踏み入れ、「おまえもそう思うだろう」とぬかるみにひきこまれるたびに、胃に重いものがたまったような気持ちになる。プライドを持ちたいのに、そうできないどろどろとした思いの粘性を感じたとき、いいようのないその重苦しい嫉妬にこちらも苦しくなる。


自分を含めて、大多数の人間は、プライドによりかかって生きている。かっこいいと思われたい、かしこいと思われたい、認めてもらいたい。プライドは酒と同じで、なくてもいいものだが、多くの人はそれを好み、ときとしてそれに頼るときがある。そして、プライド自体はけっして悪いものではない。本当に優れた結果を出している人は、その自信が他人をもひきつける。自分の生き方に誇りを持ち、全力で前に進む人の話は、聞いてるこちらにまで力を与えてくれる。HBSやシリコンバレーで出会った人々のプライドはかっこよく、僕を鼓舞するものがあった。良い酒は、人を集め、その場にいる人々に活力を与える。


中途半端に「謙虚」になって、気持ちの悪い思いをするくらいなら、自分だけでなく、周囲をも酔わせ、力を与えるようなプライドを持とう。「いい酒」を醸せる人間になりたいと、最近よく思う。

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